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2006年9月

ミズヒキに寄せて

Dsc01321 花がいっそう美しい季節になりました。

春の花は喜びに溢れ、心浮き浮きするような華やかな嬉しさがありますが、秋の花の楚々とした美しさが好きです。

そんなひとつがミズヒキ。山道で見かける鮮烈な赤の輝きは無いですが、なんか、ひっそりとした美しさにひかれます。 一方、あるかもとは思っていましたが、白のミズヒキは見たことがありませんでした。      

Siromizuhiki

何気なく山野草を検索していて見つけたホームページ『雪割草と山野草』http://www10.plala.or.jp/nakayuki/。見たことも無い山野草がたくさんあり、時々訪問していたところ、なんと、 白ミズヒキと白のホトトギスの画像が載ってました。 びっくりして、“初めて見ました”のコメントをまだ咲いてないホトトギスの画像とともに送ったことから、白の“ミズヒキとホトトギス”が、我が家の花に!!Dsc01359_1 (白ミズヒキ:[雪割草と山野草]の画像)

ミズヒキは、全然根拠は無いのですが、『枕草子』を書いた清少納言を連想させます。すだれ越しに眺めながら、

         ・・・秋は朝方、

           少したわわった枝の蕾のひとつひとつに 

           朝露が宿るもをかし

           また、それぞれに伸びた枝が、 

           微かな風に揺れるもをかし・・・・・

なんていうかも?

インターネットを通しての交流ですが、幸せを頂きました。

野菜にも意思が・・・

Dsc01305 大収穫。これらの野菜は、野種で芽が出たものを育てた野菜から収穫。

Dsc01300 野菜作りは、楽しみですが、おいしい野菜を作るのは容易ではありません。現在、ミニトマトが、キウイに絡んで1本、大根に囲まれて2本の計3本育っています。

トマトを育てたことのある人は分かると思うのですが、すぐ表面が変色し、情けないトマトになり、食べれない。ナスやきゅうりも同じです。しかし、出るにお任せすると、自分からここで育とうと意思を持って芽を出した野菜は、ちゃんと実り収穫できるのです。ミニトマトは、やや甘さが足りないですけど、十分トマト。ごうやは、小さいのでほっとくと、弾けたりしています。でも十分苦くごうやです。

  紅き実がぎっしり柘榴どこを割っても  橋本多佳子(朝日新聞 折々のうた)

            トマトもごうやも“鮮やかだ”

            形はやや小ぶりだが、口に含むと新鮮な甘酸っぱさが広がる

            弾けたごうやは、鮮烈に赤い

            一粒一粒が、命のエネルギーを発散させているようだ

人間も同じでしょうか?

Dsc01371 白のホトトギスが咲きました。

楚々とした綺麗な花が咲きました。

人生まさに縁

Dsc01324朝、霧が立ちこめ、“今日も寒い1日かなあ”と空を眺めたのですが、お昼が近づくにつれ回復。青空、時に雨も落ちたりの不安定ですが、暖かな日です。

Dsc01326 さっき塩尻の知り合いから葡萄が届きました。とても甘いおいしい葡萄。信州は各地いろいろの果物があり、秋はまさに“食欲の秋”を満喫できます。

葡萄を送ってくださった方は、うちのお父さんが独り身のときの上司で、“鉄人”といわれるくらい仕事のできる面倒見のよい方でした。うちのお父さんだけでは有りませんが仕事上も、生きるうえでも大事な恩師でした。心臓が悪く薬を飲んでるのは知ってたのですが、奥様の話によると、現在は脳梗塞が悪化し、60m歩けるか?ぐらい。口は麻痺して会話もできない。身内もわからないとか。

「働けるうちが華。体に気をつけて!」と、気丈にもまだ、私たちを気遣って下さる奥様に電話口で胸が詰まりました。

楽天の野村監督が、駒大苫小牧の田中君に送った『人生まさに縁』。自分も、主人の母を介護する身。今は、介護する側の悩みを抱えている。一つ一つに自分が対応し消化しないと何も物事が進まない。今するべきことをしなくてはと思っております。が、時に“何処かへワープできればいいのに”と思うことすらあります。

市の広報で時に“行方不明の老人の尋ね人”が流される事がある。

自分の居場所が無いお年寄りが多くなっているとも聴きます。

自分は歩けるし、少しは人の役に立てるし、・・花を見て、空を仰ぎ、そして、蝶の舞を眺める。

最近、「年を重ねることが怖い。」と思いますが、“成るようにしか成らない”流れのままです。

脳も暴走する??

高校生のドラフトで、駒大苫小牧の田中君の入団交渉権を楽天が獲得。田中君が野球部の仲間に肩車され笑顔でガッツポーズをしている写真が、新聞の1面に掲載されている。田中君の素直な笑顔も素敵ですが、担いでいる特にキャッチャーやなかまの笑顔、そして野村監督の「・・・人生まさに縁。・・・一緒にやろう。』というコメントがいい。こんなハッピーな記事とともに、諏訪の“連続放火”の報道が、引っかかります。放火がだんだんエスカレートしたのは、脳が暴走して止められなくなったんでしょうか?

朝日新聞 現代の漂白⑦より

5年間で1億円はつぎ込んだというブランド物の衝動買いから、現在は美容整形に嵌っているという作家中村うさぎさん。買い物依存症の日々を赤裸々に描いた連載コラムの中で、自らをじっと観察し『現代人は、あきらめ切れない地獄に突き落とされている』と分析。少し下向きにタバコをくゆらす中村うさぎさんの表情に、喪失感がにじむ。

そんな中村さんと対談した脳科学者“茂木健一郎氏”は、「・・・全部脳の欲望という感じがする。脳って本当に無限を見ちゃうというか、自分が生物であることを忘れて暴走しちゃう存在なんですよ。」と、感想を語る。

いろいろな報道を知る度、自分には無縁の話とは言い切れない。いろいろな地獄があり、いつ落ちるかもしれない危うさの中に自分も生きていると思う。

脳科学者の言葉が、妙に納得できると思いませんか?

昨日の夕暮れ。Dsc01312

Dsc01315お風呂の壁に見たこともない虫が張り付いていた。蝶の影響か、最近はいろいろな虫が見えるようになりました。

Dsc01322 信州は肌寒い雨が降っています。

何かしらいいことがありそうな気がした1日

Nawate3 秋の青空の美しい1日松本へ出かけました。

かって学生だったころ親元を離れた開放感を実感できたのが 、ここ縄手通り。入学間もないある日、先輩の一人に初めて連れて行ってもらい、写真の青空が尽きる辺りにあった店で食べたホットケーキは、初めての味。高校生まで親元で過ごしたのと、父が旧い人間でしたから、親以外の人と店に入って飲食するなんて有り得ないことでした。せまっ苦しい店は、私のささやかな自由の始まりでした。

写真は、縄手どおりの入り口から、撮りました。スカーッと抜けた先に信州の青空が見えました。(休日で大勢の人が楽しんでいたので、知らない人が入ってしまい、骨董店の一部を張り付、技不足、まだまだ学習中)新しくなった縄手に昔の店は探せなかったのですが、まるで、お祭りの夜店を見るような華やいだ気分で、ゆっくり歩きました。

喫茶「まるも」のある反対側へ渡って、蔵通りを歩いていたとき、僅かな隙間に赤ミズヒキが植わっていたりして、とても、驚きでした。自分の住んでる地方は、各家々がそれぞれ花を植え、育てるのはごく自然のことですが、コンクリートの照り返しに耐え咲いていた水引。また、縄手より駅よりの女鳥羽川の近くには歩道に人工の小川が流れていて、木が植えられた近くで遊んでいる親子も居たりして、今は信州人の自分さえ、嬉しくなる街づくりが行われているような気がしました。

          

               ある日ある時   黒田三郎

                秋の空が青く美しいというただそれだけで

            何かしらいい事が有りそうな気がするそんな時はないか

               空高く吹き上げては虚しく地に落ちる噴水の水も

                侘しく梢を離れる1枚の紅葉さえ

            何かしら喜びに踊っているように見えるそんな時が

Dsc01291 まだ信州は暑い日があり、モンシロチョウが舞っております。

こんな日が続けば、誰だって善人なれそうな秋日和、花は綺麗な色を取り戻し、残りの日々を楽しませてくれています。

一方、 あんなに居たくちなしの青虫は、どこでどんな蛹になってるのか?くちなDsc01294しの硬い葉まで食べつくし居なくなったのに、蛹を見つけられない。

ヒョウモンチョウの蛹は今年羽化できるのか?

ちょっぴり気がかりです。

鳥の羽音で、朝が始まる

Dsc01278 名前も知らない鳥が、羽音を響かせて頭上を横切り 朝が始まった。

穏やかな今日の終わり

輝く夕日

いろいろあったけど、

後は、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』が聴ければ、最高!

生きているのも運しだい?

昨日まで、3個の蛹がいたのに、奥の棕櫚の木にぶら下がっていた1匹は3分の1ぐらいしかない。下を見ると無残にも赤い小さな蟻が集っていた。

Dsc01274蛹は小さな突起を突き出した鎧をまとったような様相で、羽化を待っていた。あやめの葉にぶら下がっている蛹の下方の銀色突起を写そうと葉を捻じった時、うっかり指が蛹に触れたら、“ヒクヒク”と動きびっくり。

Dsc01275優雅に空を舞える日が来ることを願い、

       懸命に、そしてひっそりと生きていた。

                   でも、生き抜けるのも運しだい。

                   生きて空を舞えるのも運しだい。

Dsc01241今農家のキャベツ畑でたくさんの白い蝶が見られます。運が味方して今空を舞っている蝶と、鳥や蟻やそして人により命を絶たれてしまった蛹や幼虫が見える以上の数いたかな?と思ってしまいました。

落ちそうで落ちない不器用な宝物

朝日新聞「折々の歌」に寄せて

    芋の露不器用といふ宝物    富樫 均

Dsc01263 まさに朝露を愛しむかの様に、サトイモの葉は、危ういバランスを保って伸びていた。

Dsc01270_1球状の露は微かな揺れに転がる。

         周りの露を集めて大きくなり、落ちる寸前で葉が堪える。

         地面に伸びた葉の大きな朝露に空があった。

Dsc01242 秋の青空にはトンボが映える。

自然に恵まれた信州でも、あちこちに“水辺の学校”とか“蛍の里”が作られ、「子供が自然に親しみ愛着を持って生物に接する事で、心を育てよう」と取り組む活動が盛んです。 

「トンボや蛍、蝶等の小さな生き物を守るビオトークを作ることで、更にいろいろの生物が集まり、緑が復活し、ひいては自然を守ることに繋がる。」と、聞いたことがあります。

台風は昔も日本に上陸していた。

自分の子供のころの佐渡の民家はほとんどが木庭ぶき。木を板状にして瓦のように並べ、更に風で飛ばないようにころころした石が乗っていた。屋根が風に吹き飛ばされると載せている石が落下するので家の中も危険。一度ひどい台風のとき、家を抜け出し、そばの堤の土手に家族で身を伏せたことを思い出しました。この親と一緒の脱出は愉快でした。

被害を受けた地域の人が「今まで此処で、こんなことは無かった」と、話されていることを報道で耳にします。地球を壊す様な生活している私たち一人ひとりが受ける責めが、たまたまその地域で出ていることかなと最近感じております。

ついに蛹を見つけた

Dsc01217_1 朝食後、あやめの葉にぶら下がっているヒョウモンチョウの蛹を見つけた。

Dsc01221_2先週食草のたちつぼスミレに5匹幼虫がいたので、さらに探すと近くの棕櫚の木に、まるで蓑虫のように幼虫が2匹ぶら下がっていた。 (7:41)

Dsc01235_1 午後再度見に行くとなんと蛹化し、さらにそのちょっと下にズボンを脱ぎ捨てた様に黒っぽい小さな塊が落ちていた。(14:52)

夏の蝶の優雅な舞に魅せられたことから、小さな命がたくましく生きようと変化成長する姿に遭遇できています。くちなしの木の青虫たち(今朝数えたらおよそ25匹)も貪欲に葉先を食べつくし、今までは姿を見せたことも無かった日中も、少なくなった葉を抱え込んで食べています。子供を生むことは人間でも、とても大変なのに、この小さな虫たちは他に支えられることも無く、甘えるでも無く、直向きに生きんと、蝶に成ろうとしている 気がします。

「朝日新聞 折々の歌 」に寄せて

    一途に雲の上を飛びながら、

         青空の寂しさを初めて知る  前田夕暮 

昨日の夕焼けがそうでした。何処かで災害が起きるとき、夕焼け空が、悲しみと怒りで一瞬ですが燃える気がしています。幸いなことにまだ、“青空に寂しさ”を感したことはありません。わからないのですが、“青空の寂しさ”は、耐え難い辛い寂しさのような気がします。そんな日が訪れないことを願うばかりです。

母が育てていた花が咲いた

Dsc01206母が育てていた花“玉すだれ” が咲いた。

故郷では蔵の前に咲いていた。あまり近所では見かけない花だったので咲くのが嬉しかった。

子供のころの母は、病気がちで家にはあまり居なかった。学校から帰ると、柱時計の音が響く深閑とした家だったので、かばんを置くと暗くなるまで外で遊んでいた。休日になると、母親代わりの姉(二つしか違わないのに、しっかり私や妹には母親でした)と春先、畑お越しをしたことや父親と一緒に行った山で生味噌をつけて食べたきゅうりのおいしかった事とかは覚えている。母がまったく家に居なかったわけではないのに、母と何かをした記憶はない。ただ、花好きで、いろいろ咲かせていました。

懐古主義ではないし、楽しいばかりの子供時代でもなかったのに、ふとしたとき、昔のことが甦る。          

            はあ 佐渡と言うたかて行かりょか佐渡へ

                                佐渡は四十九里波の上

Dsc01207帰らぬ年月が多くなり、益々、佐渡は遠い故郷になっておりますが、母の育てていた花が今年も咲きました。

Dsc01211_2 九州北部を駆け抜けた台風13号は、ここ信州を天気報道よりはずいぶん穏やかに通り過ぎようとしています。一方で、今回も大きな災害が報道されている。  何事も無く過ぎた日は穏やかに沈む夕日が、一瞬不気味に輝いて沈んだ。災害が起きるとき、夕日は異様に燃えて沈む気がします。

蝶が舞う

Dsc01187

9・11 早朝、シュウメイ菊の一枝にヒョウモンチョウが。

ここは前にナミアゲハを見つけた近くです。以来外に出ると見るようにしている場所で、ヒョウモンチョウを至近距離で撮れました。日が昇るのを待ってるのでしょうか?

Dsc01182 日中はモンキチョウも。

そして玄関脇のくちなしの木はころころした青虫が7匹くらい。どんな蝶が舞うか楽しみです。

なぜかわからないのですが、蝶が綺麗に見えます。

_011お父さんの工作

トンボが自称空中庭園の先端で風を受けて回るように改良されました。

家の庭に置くにはちょっと大きすぎるのですが、楽しませてもらってます。(今は、飯田創造館に設置)

日本語は難しい!

Dsc01128 久しぶりの雨。

すだれ越しに見えるナスタチュームの朱色が花の少なくなった周囲の緑に映える。鮮やか。

9月5日の朝、食後新聞を読んでいた主人のこんな言葉から、ちょっと舌戦が始まった。

 「『そつがある』ってどんなことだ?」

 「『そつがない』っていうのが、『しっかりしている人に“あの人はそつがない”』ていうから『そつがある』は、“しっかりしてない”じゃない?」

 「じゃあこれは、どんな意味だ?」朝日新聞「折々の歌」

       朝顔や人の顔にはそつがある(小林一茶)

 「綺麗な朝顔も(そつ)完全じゃない、ましてや人の顔はなおさらだ。」

 「そうじゃないようだ。“朝顔は綺麗だけど、人の顔にはそつがある。完全じゃない”だよ。」

 「何で、“や”は、同列じゃん。“とまとやなす”は、“トマトもなすも”じゃん。」

 「解説を読んでみ。」

     朝顔の顔はすっきりしているが、

         人の顔ときたら「そつ(手抜かり)」があるね:大岡信

日本語は難しい。人とやんわり付き合える柔軟な夫。心の広さの違いでしょうが、いまだに解釈しきれない“語”がある自分は、人付き合いが下手。花や空に逃げているのかもしれないと感じました。

8gatu10ka_026 玄関脇のくちなしの木によくこの虫がつき新芽を食べる。今までは花を見たくて、虫を駆除していたのですが、8月の蝶の優雅な舞にすっかり参り、羽化するのを待っています。昨日はまだ新芽を食べにきていましたが、今朝は見当たらない。そろそろ何処かで蛹になってるのかな?

夏に蝶が舞う

Dsc01085 8月の早朝外に出た。外はまだしっとりと朝露に包まれた静けさの中、咲き終わった花柘榴の枯れ枝に2羽のナミアゲハが。よく見ると2羽が向き合っていた。まだ外気が冷たくて休んでいたのか?今羽化したばかりか?静かに羽ばたいていた。さすが日中は見ないが、夕方になると、あちこちにヒョウモンチョウがひらひら(名前はホームページ「雑記蝶」を参考にしました)

9月にはいった昨日、ヒョウモンチョウとモンシロチョウのような小型の白い蝶が舞ってます。

9・4夕方また、ナミアゲハが1羽。とても綺麗。ちょうど帰ってきた主人を呼び楽しみました。

Dsc01097 トンボは秋、蝶は春ではなかった。いろいろな野菜が年中食べられるように昆虫も季節を選んで生きている。夕方はコリュウスにスイッチョン(正式名称ではない)、そして夕食を食べていたら部屋の明かりに誘われたかコオゴギが。狭い常識の中で窒息しそうな自分ですが、この1対の蝶からまた違う世界を垣間見ることができました。

8gatu4ka_013 お父さんの工作:カブトムシは虫製作の原点。はじめはベンチ形状でしたが、3作目は、本物を意識して。大人が乗っても大丈夫。

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