長岳寺Ⅲ 望郷の鐘
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下伊那郡にある「信玄が火葬にされた」という長岳寺」に行ってきました。
「此の寺は、信玄公が野田城からの帰途、この駒場の山中でなくなられ、当長岳寺にひそかに運び込まれ、こっそりと火葬にされたお寺です」
更に153号線を南下した根羽の横旗には、武田神社が有ります。
武田信玄は信州侵攻により、此の南信州の人々の心のおく深くまで入り込んでいるようです。
今、NHKの大河ドラマの影響で訪れる人が多いのか、いたるところに分かりやすく書かれた看板や有名人の碑が立てられていました。
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覘くと、古の石垣が見えます。角の取れた石だから、天竜川が運んできた川原の石だったでしょうか?
ここは、天竜川の段丘の更に上の地帯ですから、運び上げるには相当の人力が必要だったと思われます。
鈴岡城は、明応2年(1493)鈴岡城城主が信濃国の守護職のとき、小笠原一族の同族(鈴岡、松尾)争いで、断絶。此の同族(鈴岡、松尾)争いは、松本小笠原城主、下条氏の吉岡城主を巻き込み、一旦松本小笠原家が鈴岡城を継承するも、武田信玄の下伊那攻めで、陥落した。(南信州 「地名が語る伊那谷の歴史」より)
毛賀沢を挟んで、対岸に松尾城が有ります。同族争いの戦場やだまし討ちの場になった毛賀沢の大丁洞(おおじょうぼら)は、竹林の中。
橋を渡りましたが、ただ、竹林の入り口に鉄柵があったものの、それと分かる碑もなく、定かでは有りませんでした。
熾烈な歴史と悲劇が秘められている大丁洞の傍を毛賀沢川は、天竜川に流れくだっていました。
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雨上がりの午前中です。小さな柘植の花に、花アブが群がっているのを眺めていたら、突然、蝶 コミスジ(タテハチョウ科)が仲間入り、柘植の枝をあちこち上下し始めました。
「見晴らしのよい葉上で、テリトリーを監視し、その中へ侵入した蝶など(同種でも別種でも)追い出そうとする。飛び方は独特
また、コミスジに似るホシミスジは、後翅裏面基部に黒点が散在する、前翅表面の白線の形が異なる」(「雑記蝶」より)
いつも蝶との出会いは突然なので、ゆとりがない。また、翅を閉じた瞬間は残念ながら撮れなかった。前翅表面の白線の形から、コミスジかと思う。
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昨日の今田平、天竜川沿いに龍江から天竜峡までかなりの直線道路、車なら飛ばしたくなるところです。
遊歩道を歩いていたら、サイクリングスタイルで若者が走りすぎた。
ちょっと若者が眩しい!
・キンポウゲ科
・学名 :Delpininum
・原産地 :ヨーロッパ アジア 北アメリカ アフリカの山岳地帯
・別名 :オオヒエンソウ ・ヨーロッパを中心として約250種が分布する多年草 ・花びらのようにみえる部分はがく片が発達したもので、花の本体はその中央にあり、小さくあまり目立ちません。(ガーデニング総合百科「ヤサシイエンゲイ」より)
花色は、ブルー系が多いのですが、昨年から白、ピンクも咲き出した。
咲き終わったらその茎を切りとると、また2度咲きが楽しめます。真夏の庭に、青い色がすがすがしく清涼感が溢れる嬉しい花です。
もっと青が強いのですが、白くなったりでなかなか本当の青い花が撮れない。(学習中)
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天竜川の堤防伝いに今田平を歩いていたら、なんと麦畑、生花としては見ていますが、小麦畑は久しぶりです。
春先は麦踏、そして夏の収穫時は、刈り取られた麦を背負いながら、生の麦を噛んだ。味は覚えていませんが、グルテンができるのか?ガムのように噛んだ記憶が有ります。櫨で逆上がりをしたり野生児でした。
テーマパークで遊んでいる親子は見かけますが、今自然の中で遊ぶ子供はいるのかなあ?
川原では雉の番、オスの赤い色が目を惹きます。川原のあちこちを雌が動くと三歩下がってでは有りませんが、雄が追いかけて歩いていました。ここでも、雌が強いのか?ひばりも盛んにさえずります。
今日は、晴天ですが風が冷たい。風越山頂には、雲が架かっていました。
昨日6月1日は写真の日で、『風越山を撮ろう!」だったとか、
大勢の方が、いろんなとこから飯田の象徴的お山 権現山にカメラを向けていたんだと、いつか応募してみよう!
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昨日の朝、東の山際が明るみだしたので、日の出を見ようと家を出ました。
上の段丘に辿り着いたとき、朝日は厚い雲に吸い込まれて行くところでした。
実家もそうでしたが、国策の減反で、田んぼはだんだん少なくなり、畠にされたり荒地になったり。
田植えが終わった田んぼを見ると、どろどろ、へとへとになりながら、一人前に働いた快い疲れに身を任せながら、カジカやかえるの大合唱の中、家路に就いたことを思い出します。
日中 荒れ模様の天気で、ツマグロヒョウモンチョウの雌が風に翻弄されていました。
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かって、『下伊那の奥は深い!』と言われたことが有ります。昨日、153号線を南へ向かって走りました。
門原大橋の手前で、かじかの湯へ降りると、門原川原は整備され、温泉や散策コース、宿泊できるコテージ(?)等有り、散策コースをさらに下ると頭上に門原大橋の赤いアーチ越しに伊那山脈の一部 泰阜の山々が見えました。
門原川も天竜川に流れ、国道は南へ伸び平岡へと通じています。
“高齢化率50%”と、最近テレビで報道された平岡です。“高齢化率が高い”即“若い人の働く場が少ない”ことだけクローズアップされますが、元気にお年寄りが暮らせる人情味のある地区、長野県の小中学校で一番にプール開きができる温かい地区、お茶や小梅が特産の地区でも有ります。
聴きかじりですが、『人口推移のシュミレーションでは東京都と沖縄に人口が集中されるだろう』と
先のことは分からないですが、長野県で最南端の平岡、安全な土地で子育てしたい若い世代が移動する可能性もあるのでは?ふとそんなことを思いました。
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今朝庭に出ると、朝日の中でヒメウラナミジャノメが緑の葉の上に見えます。まだ大気が冷たいのか、動きが鈍いので追いかけました。
裏側の写真(小さく写っているほう)で、後翅の蛇の目が5個あるのは、ヒメウラナミジャノメ、
よく似ているウラナミジャノメは、蛇の目が3個です。
ヒメウラナミジャノメは、ぴょんぴょんと跳びはねるような飛び方をします。(雑記蝶より)
蝶のイメージは“華やか”ですが、ヒメウラナミジャノメは、特に裏はちょっと不気味な波模様でとても地味な色合いの蝶。初めは裏の波模様に気が付かず“なんで、ウラナミ?”でしたが、画像を拡大して納得でした。
今回は、画像を撮るがいっぱいで動きまで目がいきませんでしたが、ぴょんぴょん飛び跳ねるように飛ぶ姿を見たいと思っています。
外に出るとつい蝶探し!最近の朝の楽しみです。
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数年前より地域活性化の為にポピーを栽培し、ポピー祭りを開催していると言う。
花言葉:慰め・やすらぎ
ポピー、ひなげし、虞美人草、芥子
言葉は不思議です。ひなげし、ポピーは可憐な花を連想させますが、芥子というとアヘンの採取と結びついてしまう気がします。そして、
力山を抜き気は世を蓋う
時に利あらず騅逝かず
騅逝かざるを如何せん
虞や虞や汝を如何せん(項羽)
覚悟の別れの宴でも尚項羽を虜にした虞妃は、可憐な絶せの美人だったのでしょう!虞美人草と呼ばれたひなげしの花。
伊久間平 あやめ園の隣り、広大な農地に赤や黄色の愛らしい花が風に揺れていました。
21日『潜入!アフガン麻薬無法地帯』(クローズアップ現代)で、ひどい干ばつに他の作物は実らず乾燥に強い芥子を栽培し生計を立てようと苦慮する農民。貧しいがゆえに違法と知りつつ、毒性のある芥子を栽培、また、体に悪いと知りつつも自らも吸い、体の弱い子供にも吸わせている画像が流れた。
また、国あげて撲滅にかかっているが、追い込まれるのは栽培している貧しい農民、「暴力では何も解決できない。自立できる支援 灌漑の整備等が必要」と、実際に灌漑活動をしている人のコメントが有った。
今日水泳に言ったら、すでに年金をもらっている方が、『年金が少ない、公務員はたくさんもらっている』と言う話をしだした。
人は常に今よりより高い望みを持つ、悪くはない。だが、これが叶わないとき人を妬むのではなく、広い視野を持って生きるにはどうすればいいんだろう?まだ自分の中でも将来の方向がない。
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時又に向かう道路の踏み切りに“遠州街道”と書いて有りました。遠州:静岡に通じる道です。此処が、遠州街道と初めて知りました。県道○○線と言うより、“遠州街道”の響きが断然いい!
この遠州街道は道沿いに樹が生い茂り見通しも悪いし、朝夕の通勤時以外は交通量も少ない道路です。
また、いろいろの潅木に混じり道沿いにも偽アカシアの木が有り、ある一角では天竜川が見えたりします。対岸では今年春一番に緑に燃えた竹が黄色く枯れ始めています。
一人で歩くのはちょっと不安ですが、木々を見ながら散策するも悪くない遠州街道です。
ミズナやジキタリス、黄コスモスのような花がハルジオンやつめ草の中でお花畑のアクセントのようです。(名前は不明)
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森閑とした鎌倉式庭園を抜けると、伽藍と庭園とを隔てる道に出る。敵の攻撃をかわすために、伽藍正面よりも山門の位置はずれてて建てられている。
庭園の静けさに慣れた目には、朝の光も眩しい!
牡丹園の方から、嫁いだ娘と小さな孫娘に目を細める祖父らしき一組の和やかな家族が出てこられた。
石楠花の気品のある美しさも吹っ飛ぶ眩しい朝の光に目を細め、牡丹園へ!!!
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泉龍院の藤が咲き始めたので、藤の花が有名な川路の開善寺に行ってきました。(5/3)
建武2年(1335)、信州の武将小笠原貞宗[おがさわらさだむね]によって創建された由緒ある寺。室町初期の建立といわれる山門、たびたびの火災を免れたが、元禄八年破戒した上層を撤去した。下層は中央様式をそのまま伝える室町初期の建築とされている。(飯田市教育委員会)
広い鎌倉式庭園、質実剛健を旨として作られ森閑としたお庭は、苔が地面を覆い、木立の根元に石楠花が多数植えられています。白い石楠花は散り始めていますが、ピンク系の石楠花は、まだまだ綺麗。
そぞろ歩くと、浄化されるような贅沢な空間です。
花の寺なので、日中は大勢の人々が訪れるとはず。早朝の散策がお勧めです。
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山門を潜ると、石臼を敷き詰めた参道が本堂へと伸びていました。
『石臼が海の底で回り続けているから、海の水はしょっぱいんだ!!』日本昔話でしか知らない人が多いかと思いますが、子供の頃、故郷佐渡ではどこの家庭にも有り、大豆を潰してたことを覚えています。
奥の藤棚は、これからのようでした。(4/27)
今南信州では、藤の花が旬を迎えようとしています。
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美博の満開の“安富桜”の画像は撮れなかったので、芽吹きを見に上がりました。
再現された黒塀の側の桜は、満開の花で枝がしなって錦絵のようでした。今、芽吹きの緑が黒塀に色を添える。
葉桜は、巨大な樹幹から歴史の重さを感じるが、更に細い枝先を幼木のように伸ばし空に広がろうとしています。
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本堂や勅使門の近くの桜は、
その花の最盛期でさえ紅色のかんぴ桜で霞み、目立たずしっとりと咲いていました。
桜の一年にとってごくわずかな開花期が終わり、葉桜化が始まっています。
今年初めて、飯田地方の銘木といわれる桜の何本かを見て回りました。満開時には、優雅な花をまとい、人々を魅了。また、“綺麗”なんて言葉では言い表せない凄さを感じさせる樹も有りました。
世の中にたえてさくらのなかりせば
春の心はのどけからまし(在原業平)
来年に向け、これから柔らかな葉を広げようとしている本堂脇の桜。
ごつごつした太い幹、見上げるとそのたくましい幹が、まだ直に日差しを受け今年を始めようとしています。
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空気の入れ替え?開放されたビニールハウスが何棟も並んでいます。“シクラメンかな?”と入ってみると、なんと、春なのにダリアの温室栽培。
整然と管理され出荷を待つちょっと開きかけたダリアが、ぎっしり。
隣の2棟は、花が切り取られ、残りの茎から脇芽が伸びています。“花なら蕾”、ビニールハウス内の気が違いました。
映画の話ですが、『原爆に汚染された地上はもはや人々のものではなく、地下にもぐって生活している人々が、変形しながらも尚争っている”とても辛い映画でした。
管理され大事に栽培されてるこの“端正な貴婦人のようなダリア”の栽培は、さぞかしご苦労があろうかと思います。
高望みはせず、夏の太陽の下少し歪曲しながらもたくましく咲くぎらぎらした“お母ちゃんダリア”を待ちます。
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午後からの降水確率が60%という高曇りの今日、塩尻まで高速を走りました。
高森の月夜平大橋が山に浮ぶ。
飯田の桜はもう葉桜になっている木が多いので、桜は寂し色。
風に舞う花びらに
“花の色はうつりにけりないたずらに
わが身世にふるながいせしまに(小野小町)”
なんて悲哀を感じる日々ですが、
高遠付近は車で走りすぎるのは惜しいほど、沿道にたくさんの桜が続きます。
また、塩尻は寒いのか、柔らかなピンクの桜がふわっふわっとあちこちに見られます。
高速を下りて少し走った国道脇の桜など、雨に打たれても綺麗さが際立ち、この美しさが留められるなら留めておきたい桜色でした。
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庭木かと思っていた“雪柳”が天竜峡へ流れる天竜川の岸壁に川面からほぼ同じ高さで自生(かわらんべの少し先)
写真講座で、歩きながら説明を受けたので、今日改めて見に行きました。
手前の竹林の隙間から見える対岸にも、雪柳の波は続きます。
時又へ向かう蛇行する天竜川の岩棚にもやはり雪柳、
覘いていたら船が下ってきました。
どんな説明か聞き取れませんでしたが、船頭さんの声が途切れ途切れに流れてきます。
もしかしたら、自生する雪柳の続く白い波に歓声を上げた乗客への解説でしょうか?
雪柳、此処竜丘地区では庭木として普通に見られ、春は華やかな花が多いので脇役的存在。
日本情緒いっぱいの椿の赤を一層際立たせる雪柳の白は、花のシーズンのファンファーレ!
天竜川の岸壁を飾り、川風に揺れる自生する雪柳に驚きです。
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飯田市の郊外 桐林のサンヒルズの下から伊賀良の三日市場に向かう市道を走っていると、白い花が広がる果樹園が見えます。
“なし?”とか思って近づくと、ちょうど農家の人が作業の真っ最中!
「これは、青いスモモ。赤いスモモも花の色は同じ白!」と。
『スモモ』も棚の上を這うように剪定され、花は女の子の花簪のようにぷくっり、ぷっくり、ぽ、ぽ、ぽ・・・。
すもも
故郷のスモモの木は、遠い竹林の斜面に有りました。篠竹の藪を抜けると、竹林。せっかくの日曜日ですが、寡黙な父のいつもよりにこやかな笑顔が嬉しく、姉と籠を背負い、父の後に続きます。途中蛇に出会ったり大騒ぎの山行きです。
消毒等もちろんしてないから、大きくておいしそうな実は大体虫に食われていました。夏に店頭で買える大きなおいしいスモモではなく、中梅ぐらいのスモモでも、嬉しい山行きでした。
三日市場の畑は、たぶん手入れもされておらず、花付きも寂しい。
この白い花が、佐渡の竹林の中で今も咲いてるのかなあ!
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駄科の御薬師堂の前を通り過ぎ、旧道へと歩き出すと、まだ、稲の切り株が見えるの田んぼの奥にかわいい桃色の花がフワーと咲き、傍の側溝では水が勢いよく流れ、突き当たりの土手にミヤマツツジも咲いていました。
もも
桜の花の寂しさ、幻惑される妖艶さとは無縁な幼子を思わせる桃の花です。
♪・・・お花を上げましょ
桃の花・・・♪ひな祭りの詩が響きます。
代わって果樹の花があちこちに見られる季節になりました。
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十一年に一度の伊那十二薬師のご開帳の年、第四番薬師 駄科阿羅多堂のお茶当番で、半日御薬師様に詰めていました。
薬師堂の正面に立てられた柱(正式名?)から紅白の紐がお堂の奥の御薬師様の指と結ばれていました。
参拝される方は年配の方がほとんどでしたが、この言い伝えを知ってる方は少ないのか、触らないで直お堂に入られる方が多くいました。
伊那十二薬師の縁起は、“戦国時代の武田晴信と軍陣を構えた松尾城主小笠原弾正少弼定基公が風眼を患ったことから、近在十二箇所薬師を巡拝信仰し、その霊験をもって眼病が全治したことから、毎年城主自ら十二薬師拝巡し、領民へも信仰が広まった”と有ります。
また、お茶を飲みながら『昔はお堂の前にちょうどおっぱいの形の白いものがたくさんぶら下げられていた』と年配の方が話されていました。
お話を聞きながら、昔からのこの土地ならではの言い伝え等を知って人と交わる機会も少ないので、残しておきたい伝承が消えてしまうのはもったいないと思いました。
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南原橋(天竜川に架かる橋)を渡るとすぐの小さな山は、全山淡い薄紫の岩躑躅で埋まり、まるで昔話の絵本の1ページ。
まだこれからですが、咲き出した岩躑躅の小山を眺めて、桜咲く坂を上ると柔らかな 春の日差しを受け、ソメイヨシノとかんぴ桜が文永寺の境内を華やかに彩っていました。
唐破風門の傍には枝垂桜も咲いていました。さくら
さくら
文永寺の静かな境内にゆったりした時間が流れます。
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飯田から中央高速道を松川方面へ向かって走っていると、連なる山並みの中に不自然に傾斜した橋、ダークっぽいレモンイエロー色の鉄橋が見えてきます。
“自然に恵まれたこの南信州の山並みには不釣合い”と思って眺めていました。
瑠璃時 鐘楼の桜
瑠璃寺の花見後、高森の街道に出て走りだすと、胡麻目川に架かる月夜平大橋に。橋に近づくと、南アルプスも見渡せる素晴らしい眺望に開放感!
橋の袂にある桜の蕾はまだ固く、桜愛好家には見逃せないスポットかもしれません。
この鉄筋の橋は、信州の景観を損ないつつも、信州の景観の素晴らしさを体感するのに一役買っているような気がします。
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さくら さくら
やよいの空は
みわたすかぎり
かすみか 雲か
においぞいずる
いざや いざや 見に行かん
麻績は、大勢の人でにぎわっていました。
一方、天竜峡の船着場の枝垂桜は葉桜が始まり、大きく枝垂れまばらな花を付けた枝が川風に揺れて、樹の侘しさ(?)が思われました。
小林(天竜峡で天竜川に架かる橋)の下から下流の眺望鮮やかな紅色の岩躑躅が目を惹きます。
昨日はとても寒かったので、今日の青空に中央アルプスの雪山が輝く。
さくら、妖艶なそして優雅な桜が数日を待たず一転侘しさ漂う葉桜に成る。
このギャップの大きさも桜への思いを深め、揺さぶるのでしょうか?
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静かな境内に春を誘い込むかんぴ桜、頑張って銀メダルを獲得したスケーターの浅田真央ちゃんのコスチュームと同じ色、蕾の赤より紅色です。
このかんぴ桜は
幼木ですが、武田信玄の侵攻で戦って散ったであろう多くの若者の心も慰められるであろうような柔らかな紅色です。
桜の木の下に立ち、その優しさに染まります。
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さして桜への思いは深くはなく、故郷の坪の地(座敷から見える小さい内庭)の母の植えた1本の桜が、春になると綺麗に咲いていたこと(代が変わり、その桜も今はない)が、桜の季節に思い出すぐらいで、お花見などと浮かれるほどでは有りませんでした。
先日来、文永寺のかんぴ
桜を見てみたいと通いながら開花が待ちきれず、大宮通りの彼岸桜を見て、何で今までこの桜を見に来なかったか?
はじめて、その妖艶さに魅了されてしまいました。
六十あまりの年を経にける』 西行
飯田はたくさんの桜の名所があるようですので、今年は、たくさんの桜を見て回ろうと思っています。
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秋に訪れたとき、パンフレットに載っていた桜、まだ満開とは言いがたいのですが、大きく枝垂れた枝が川風に揺れています。
風越山も花曇りで霞んでいます。(小林:天竜川に架かる橋から上流の眺め)
一瞬左岸に見える桜に日が射し輝きました。
日のあたる明るい時に咲く花は、同じ花でも綺麗に見えます。
帰りに天竜川の東側:竜東線を走ると、対岸の彼岸桜がふんわりとやさしいピンクで目を惹きました。
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天竜川の堤防で造成中の桜並木(川路側)の彼岸桜
桜もムスカリもゆきのしたも雪割草も、みんな春の兆しを感じると咲こうと蕾をもたげる。
“なぜ、桜だけ?”桜前線とか言って大騒ぎするの?と、思っていたのですが、昨日、大宮どうりの彼岸桜の下に立って、満開の桜を見上げたとき、細い枝の先の先まで花をつけ咲かせている桜の樹にけなげさというか、切なくなるようなひたむきさを感じた!
この樹の息吹に人々は魅了されるのでしょうか?
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西側の窓から風越山を眺めると、谷という谷から白い霧が立ち上がり、山全体が怒っているように見えた。
10分ぐら車を走らせて三日市場に上がると、立ち上がっていた霧は山頂を残すのみで、風に流されほぼ全山が姿を現していたが、 北よりの山並みでは、まだ谷間から霧が立ち上がっていました。
足るを知るーーこれで十分と満足する人は
それで、つねに十分に足りてるんだよ!
自己否定しろとか、欲するなとか
言うんじゃないんだーーいいかい、
ただ、
どこで止まるかを知ること、それだけさ。(タオ 第46章 今あるもので充分さ:加島祥造)
自然に畏怖を感じるたび、もっと謙虚に過ごしたいとは思うのですが、凡人の悲しさ、欲が尽きない。
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昨日の文永寺では珍しく、お墓参りに来られたらしい2組の家族と出会いました。
いつもはひっそりとしている境内も華やいで見えます。
棟の白色十六弁菊型の白さ、角材そのものが組まれたがっしりした階段、本堂は重厚に時間を閉じ込め、下久堅の自然に守られ静かに建つ。
他の人には見慣れた当然の建造物でしょうか、見上げる人はなく談笑しながら通り過ぎていきました。
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夫婦獅子入り「伊那谷の屋台獅子」最中は、獅子頭を形取った粒あん入り最中
屋台獅子は各地区に有り、春の一大イベント。
厄払いの為、大きな屋台獅子が区内を練り歩きます。
伊那谷の屋台獅子は、舞楽獅子を源流として、その由来は平安時代にさかのぼるといわれます。
七世紀ごろ中国から伝来したという伎楽や舞楽がこのように奥深い信州の地にまで伝播し、影響を与えたのでしょう。長さ十三メートル、幅一・八メートルもの巨大な獅子(日本財団図書館)
子供の頃、春になると組合のおばさんたちが集まり大数珠を回しながら念仏を唱えていた。
“厄払い”だったろうか?
子供の頃見た雪割草は、こんな淡い色だったような気がします。
雪割草は日を浴び、花びらを開きます。こんなことも知りません。山を歩き回って、偶然目にする花でした。
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まだ寒いので、葉から直に咲いているたちつぼスミレ
生物の体には変化しやすい部分と、変化しにくい部分がある。割と変わりにくい部分が「花」。特に植物は自由に移動できないので、その場の環境に応じて柔軟に体の設計(DNA)を変えていくようだ。(朝日新聞;DO科学より)
冬の蒲公英もそうですが、暖かい時期と花丈は違うけど、花そのもの(形、色)は同じ。
科学的に解説されると納得なんですけど、その咲く季節になると、ちゃんと芽を出し花を咲かせてくれる植物のパワーは、不思議です。そして、“すごい!”と事実そのものを受け入れ、ただ、感動したい。
咲かせようと意図的に育てる花は、この寒さに弱く、やっと、咲く花の数が増えてきた。満開の花もすばらしいですが、咲き始めのこの初々しさにときめきです。
スーパーの店頭でもパンジーをケース単位で販売(サンプラザ八幡店)
いよいよ花の季節の始まりです。
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“健康維持”と称していろいろのサプリメントを飲むこのごろ、初めは、通販等を利用していたのですが、同じ薬を飲み続けることに不安が有り、また飲まないことも不安なので、最近はこの小林薬局にお世話になっております。
お店は、入ってすぐのところにソファーとテーブルが有り、寒い日などストーブが置かれ、よく近在の高齢のおばあさん等が薬剤師の方に相談されているのを見かけるお店。そして、自分も大きなドラックストアーが近くにあるのに、此処まで出向く一人です。
最近店先に踊る葉牡丹の小さな鉢が像のサトちゃんの傍に置かれ、今日伺うと、入ってすぐのところに真新しいサトコちゃんがいました。
初めは姑の介護で年をとった気分でしたが、今は自分の“老い”を実感。“老いることに対する恐怖心”がムクムク。
が、此処に足を踏み入れると、フ~ たちまち時間はゆっくり流れ、ありのままの自分を自分が認められるような空気に包まれる。
薬剤師さんの笑顔とお話を伺いに出かけています。
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シナマンサクの花期は過ぎていたが、スズランのようなつぼ形の花を房状にたくさん付けている花木:アセビが満開になっていました。
漢字で「馬酔木(あせび)」と書くのはアセボトキシンという有毒成分をもち、馬が食べると神経が麻痺し酔ったような状態になるところに由来し、かつては葉を煮出して殺虫剤としても利用されていたようです。(ガーデニング総合百科「ヤサシイエンゲイ」より)
意外と綺麗な花に毒が含まれていたり、棘があったりと、外見だけでは分からないことが多々有るなあと思てしまいます。
訪れる人も少ないのか?傾きかけた小屋の中に2体、風雪に耐えてきたお顔。
故郷の小さな村でも子供の頃あったお堂がなくなっていました。
昔ながらのことが全ていいとは思いませんが、“敬う気持ちだけは持っていたい”と、思っています。
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何日も寒い日が続き、アルプスは真冬よりも降雪が多く、白く輝いています。
此処は下久堅 文永寺に上がる坂道からの眺望。
中央アルプスの峰の白さを背に、梅の花が優しくふわっと流れています。
梅の花が咲き出してから、天竜川の東側にある下久堅地区の斜面のあちこちが、薄ピンク色の筆で大きく一刷毛されたように見え、“梅林?”と眺めていた一つです。
シナマンサクはほとんど花びらも枯れ、実生がたくさん付いていました。
教えていただいたのですが、
花言葉は「霊感」・「ひらめき」・「直感」・「神秘」(2月11日の誕生花は「マンサク」ラジオ深夜便)
の如くまか不思議な花は、霊力があるのか?実生になってもパワーが有ります。
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いつもは、飯田市街地を抱え込むように聳えている風越山も、佐倉様に立つとその山頂さえ少し下に見えます。
また、鳥居の前に広がる斜面に白樺が2本、落葉した木々の中でその白さが際立ち、この地の清涼感を際だ出せ、空気さえすがすがしい。
南アルプスも一望でき、斜面には桜の樹が植えられ守られてきた。
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烏の重みでしなる梢の先端でやじろべえのように揺られる烏、道路で何かついばむ小鳥。
シャッターを押した瞬間、烏は青空へ飛んだ。昨日は、鳥が目に付きました。(サンヒルズの駐車場から)
読んでいると、『自分の中にある知ってること。』の再確認と言える箇所も有り、なぜか、知識として理解できたわけでは有りませんが、親からうけたDNAの中にある何かが理解していました。
けっこう道はつくもんだ、
行き詰ってもーーー(第三章 「飯だけはたっぷり食う 」より)
“そうだよなあ、本当に捨てりゃいいんだ”でも、なかなか、余計な心配と余計な欲にまだまだ惑わされています。
タオイズムは決して人を責めない。咎めない。罪や罰で脅かさない。「在るがまま」の人を受け容れつつ大いなる道(タオ)を示すイズムです。(あとがき)
“目指したい生き方”を示してもらえたように思います。
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花がふんわりと見えますが、剪定もされず枝が密集しており、幹には蔦が絡み、折れた枝も痛々しい木も有ります。
遠めにさっと通り過ぎるには綺麗な花に見えますが、排気ガスの影響下?中国からの安い梅のしわ寄せか?此処は放置された梅林。
何度も通りながら、なんとなくその寂しい風情に近寄りたくなかった所。
樹には樹のかなしみあり虎落笛(木下夕爾)
近づいて見上げると、樹の寂しさが伝わってくるように気がしました。
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野底川は、何度も何度も階段状の滝を流れ下り、此処別府で松川と合流しました。
確かに野底川は、底へ向かって流れ、そして、松川に穏やかに流れ込んでいました。(手前が野底川)
合流点で改めて見上げると、
野底川に架かる最後の橋 陰田橋の下から少し穏やかに流れi下ってきました。
(『伊那谷の老子(加島祥造)』第六十六章 )
この1文がに響きます。
今朝の南信州は、青空ながら紙雪舞う肌寒さ。誘われて、伊賀良の大瀬木へと上ってみました。此処らは寒くてまだ早いのか、梅林は見られません。
雄大に連なる雪の南アルプスの峰峰が、広がっていました。
「僕はいろんな球種を使わないと抑えられない。次は違う攻め方をしたい。」少ないチャンスを生かし、生き残る道を探っている。
念願のマウンドに立つ桑田投手の踏ん張る写真。(朝日新聞 3月6日 スポーツ)
高度900Mぐらいの高地に自生する白樺が、高度800Mぐらい(?)の此処に根を張り、空へ枝を伸ばしていた。周囲が落葉しているので、一層その白さが目を惹く。
鍛錬し努力し、自分を生かそうと踏ん張る桑田投手の姿は、“自分も少しでも何かを学び、探って行きたい”と思わせてくれます。
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近くで作業をしてた方『匂いも撮れるといいがねえ。』と、また、
『今は、中国から安い梅が入ってくるんで、今年は30本も切り倒したんだ』とも。
まだ、古木とは言いがたいが、これから味のある樹に成長するでしょうに、・・・。
畑の一角には、切り倒された梅の木が、咲き広がる花の近くに山積されていた。
漂う霞の如く枝を広げる“天よりの雪”梅の花。心打つ春の風景をいつまでも見たい。
“雨の日の船下り”を思い描いて 南原橋に出
かけると、眼下に霞のように梅林広がり、
一つ上の赤い 水神橋も程よく雨に煙ぶっていた。
また、右斜面にはちょっとした棚田も見えます。いまさらながら、雨の日の梅花も、“いいなあ!”と思てしまいました。
“雨に打たれ、橋に立つ”傍目には不審者?
南原橋の下は水流も多く、長くたっているとクラクラ。特に下流に向かっていると不安になる。
「此処に一人で立っていたら、『大丈夫か?』と、車で通り過ぎた人が引き返して来て、声を掛けられた。」と聞いたことが有ります。
この先の交差点を右に上がると、文永寺。
下久堅を通り抜けてきたのですが、あちこちに梅 白い花が咲いています。
カメラを通して、今まで知らなかった景色に気付かされます。
“ わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも”
大伴旅人(おおとものたびと)巻5822
今年は、雪景色を余り見られなかったのですが、あちこちの梅が開花しフワーと白く広がり、まさに“ 天より雪の 流れ来るかも”です。
桐林にある資材置き場から梅林を眺めていたら、足元にひらひらとモンキチョウ。
大きな輪切りにされた樹に春の日差しが注いでいました。
鎌倉時代に建立
兵火を免れた金網越しに見える仁王像、
“本来はご本尊周辺で四天王として祀られていた”と有ります。
華麗な鎧(?)で、進入せんとする仏敵に眼光鋭く睨みを利かせている仁王像は、中国の影響を受けていると聞きます。
拝顔していると、看板からは知ることの出来ない「山門に設置されることになった歴史的経過が知りたい」という想いが募りました。
「金剛力士(こんごうりきし)は、仏教の守護神である天部の一つ。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多い。一般には仁王(二王とも書く)の名で親しまれている。
原語は「金剛杵(こんごうしょ、仏敵を退散させる武器)を持つもの」の意。日本では寺院の入口の門の左右に仁王像が立っているのをしばしば見かける。像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表わすものが多い。こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表わしている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
思い起こせよ梅の花
主なしとて
春な忘れそ
(菅原道真)
昨年の晩秋 取り残された柿の実の多さに驚いた畑、その下方に梅の花が広がっていました。(三日市場 )
南アルプスも見える丘、
清楚な早春の花、 梅が咲き始めました。
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昨日の風越山
冷たい風に煽られながら
見上げると、
久しぶりに山頂に雪が
見えます。
今年は、真冬でも雪化粧をする風越山は余り見られませんでした。
♪春は名のみの 風の寒さや ~(作詞 吉丸一昌)♪
「 早春賦」の歌詞が肌で感じられた昨日。
冷たい風に思わずコートの前をしっかり合わせながら
前かがみで歩きたくなる寒い一日でした。
(かわらんべ付近からみた 天竜川)
春を迎えようと育てていた桜草が、
ポッポッと咲いてきました。
此処下伊那地区で、“六地蔵”に出会えたのは文永寺で、2度目。
六地蔵は、この石柱の前、民家の畑の一角に設置されていました。
六地蔵より 「六道において衆生の苦しみを救う」という六種の地蔵菩薩。
すなわち、地獄道を救う檀陀(だんだ)、餓鬼道を救う宝珠、畜生道を救う宝印、修羅道を救う持地、人道を救う除蓋障、天道を救う日光の各地蔵の総称。
また、延命・宝処・宝手・持地・宝印手・堅固意の六地蔵とする説もある。『GOO辞書 国語辞典 』
最近探さないとお目にかかれないけど、心の迷いは平安時代も今も同じ。
大人だって、認めてもらえたら更にがんばれるもの
“建立や拝む”という気持ちを形で表すことで、「一歩前へ踏み出す力が頂けたり、気持ちを支えてもらえたり」するような気がします。
文永寺は、40体以上の石仏や地蔵様が建立されております。
“野底川”名前の由来が知りたく、創造館から上流へ向かって歩きました。
日本人の公徳心が欠如してきたのか?上流に上がって行くと、創造館下の河川敷では見なかった発泡スチロールや空き缶などのごみが目に付きます。
かってここら一体はヨシが密生する野原だったでしょうか?
野底川は、ヨシが密生し潅木も生えていたりする河川敷を蛇行しながら、水流も清く勢いよく流れています。(どぶ川ではなく嬉しい!)
昨日は散策日和でした。
建築構造上必要だと言う山門の梁の“かえるまた”
前回は竜だけ見えたのですが、人物の彫り物も有りました。
平成の今、この文永寺建立に関わった人々の技と熱意そして願いまで、残された建物、塔、鐘楼等から伝わってくる気がします。
創造館の東側 すぐ下を流れる野底川は、住宅地を流れているのに、河川敷の立ち枯れたススキ脇を澄んで流れ、清流のごとくに見えます。(2.22)
春になると、土手の荒地ウリやススキに隠れてしまうのが残念なくらいです。
やがて中央アルプスの方から流れてくる水量の豊富な松川に合流し、更に大河天竜川へと流れていきます。
創造館のシナマンサク
“花の命は短くて・・・”(林芙美子)と思っていましたが、
開花時期が長い不思議な花です。
文永寺で何気なく本堂の木戸の隙間から覘くと、ご本尊様が泰然と座っていらっしゃいました。
見られることを予想してなかったので、びっくりです。(隙間は狭く、周りまでは見えません)
勅使門横の木戸をくぐると、シナマンサクはまだまだ綺麗に咲いています。(2・22)
重ねすぎかもしれませんが、日を浴びて輝くシナマンサクを“泰然と座しておられるご本尊様の献花”として活けて見たい気がしました。
今、文永寺のご縁で紹介していただいた本に嵌まっています。
『伊那谷の老子』 加島祥造
言葉を選んで書かれた本に、難解な言葉も多々有る本に惹き込まれ、1節ぐらいは軽く読めてしまいます。
題字の“老子”にちょっと怯み、なかなか読めなかった本ですが、今は早く読み終え、自前でもう一度読もうと思っているころです。
江戸中期の俳人・服部嵐雪
シナマンサクを見に行ったときはまだ硬い蕾でした。(創造館)
天竜川の近くでは創造館よりは 開花が進んでいます。(駄科駅付近)
2日前は、あられが降ったりと気候変動は激しいのですが、
春なんですね。
山や川岸の竹林では、竹の先端が日差しを浴びて新緑に輝き、柔らかに萌え揺れています。
文永寺の五輪塔は、参道脇を少し入った民家の一角にありました。
再建前はかなり広大な伽藍だったと思われます。
五輪塔は、
この下伊那地方では、最古のもの
空輪、風輪、火輪、水輪、地輪それぞれに彫られた梵字、
余り接することのない文字が、微かに見えます。
よく、“歴史にロマンを感じるとか、歴史に遊ぶとか”、見出しで眼にすることがありますが、
近くにこんなすごい歴史遺産があるのに、残念ながら能力不足で読み取れません。
今日はちょっと凹んでしまいました。
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鎌倉時代に建立されたという文永寺の山門
屋根を仰ぎ見ると、梁を支える“かえるまた”に 竜の彫り物がはめ込まれています。
平成の世の現在も威風堂々と存在する山門を前に、建立した当時の人々の願いや技の確かさや熱意などに少しでも触れたいと、また文永寺に上がってきました。
山門前の参道、右側は民家や工場が建てられ、山門から本堂までの道も、山門を迂回して、軽トラ等車も行き来していました。
ぶらぶらと歩いていたら、郵便配達中の人にも挨拶をもらう。
もごもご返すが、バイクはすでに走り去っています。
此処は、人々の交流が濃密な温かい地区なんだと思います。
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昨日8時半過ぎ東の空
予報で寒くなるとは聞いていましたがここ数日来春陽気が続き、まさに“想定外の雪”が降る中、松の下ドウダンツツジの一角に蟷螂の巣を見つけました。やや斜めに、
“もろには雪が入り込まないし、風向き等をも考えた”親心か?
そして、後は自然に委ねられた蟷螂の巣。
本能での巣作りでしょうが、脱帽です。
昨日は、結局雪雲に覆われた寒い一日でしたが、一転今朝は、中央アルプスの峰峰が家々の屋根越しに朝日に染まる朝、明るい日差しが眩しい程でした。
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天竜川の荒々しい流れを見ながら、少し時又へ向かって歩くと、左側へ大きく曲がるあたりの対岸 もしかしたら“文永寺の梵鐘が沈んでいたと言われるほっきの黒瀬ヶ淵”(?)が見えます。
“黒瀬ヶ淵に沈んでいた文永寺の梵鐘”も“梵鐘に纏わる”いろいろある伝承の一つだそうです。そして、
現存の文永寺の再建が許されたのが天正19年後(知久氏由来書より)と、有ります。
勝手な推測ですが、
『黒瀬ヶ淵に沈められていた梵鐘』の伝承は、今見ることの出来る梵鐘が『武田信玄の信州侵攻以前から文永寺に有った』なら、文永寺を守ろうとした村人の気持ちを表している様な気がしてきませんか?
「歴史上の人物、昔話の主人公に纏わる伝承」は自分の故郷にもありました。
佐渡の小さな村でしたが、二つある寺の一つ 上寺(うえっんてら)には、根がぼこぼこ盛り上がり子供ならすっぽり隠れることも出来る大紅葉の樹が有りました。
この根っこの窪みに“塩汲みに疲れた安寿と厨子王が隠れた”との言い伝えが有り、“安寿と厨子王”になりその穴ぼこに身を潜めたりしたものです。
まだ此処を下る船くだりは体験していないので、船頭さんの語りで“文永寺の梵鐘が沈んでいた黒瀬ヶ淵”を聞いてみたい気がております。
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竜東線を時又へ向かって走っていたら、左側に“兎城公園登山口”と言う標識が見えた。
“こんなとこに公園?”そんな危惧を抱きながらも、落葉し見通しのよくなった重なる木々の中の小道を上ってみました。(2・8)
天竜川が滔々と流れるさまを見下ろしたり、連日の晴天でさくさくした落ち葉を踏みしめる感触も嬉しい。
普段は見れない木々の関わり等も珍しく、楽しみながら上がっていくと、突然 のたうつ大蔦。
一瞬、のたうつ大蛇かと、驚愕。
気取り直し、更に上って行こうと見上げた先 道は消え広がる雑木林の1本の木の枝にぶら下がる黒い水筒を見てしまいました。
即下り始めると、道沿いの木の根っこが露出した窪みに鳥の羽が散らばり、傍に黄緑色の獣の糞も有ります。
上るときは気付かなかった生き物同士の日々の生き様が目に付き、怖さがぞぞ~っと背中を走りました。
標識は“兎城公園”でしたから上り始めはうきうき気分でしたが、すっかり肝を冷やして降りてきました。
もうすぐ綺麗な山つつじや藤の花が開花する季節になりますが、
今の雑木林は、其処に関わて生きている生物や動物の“生き様がもろに露呈”しているときかもしれません。
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桑田真澄元巨人軍投手が、“大リーグでの活躍”を目指す選択をした。
今期は、『日本で通算173勝の実績を残しながらも、米国では0からの出発』
『自分の投球スタイルでやるだけ、前を向いて頑張りたい。』(桑田投手)』(朝日新聞 MLB 大リーグ“桑田さっそく始動” )
野球に対する自らの能力を信じ、野球人としてやってこられた人の自負を感じます。
と言うそうですが、長野原の金山神社の近く、民家の塀の外に咲いていました。(2・5)
お正月のイメージが有る様に、金色に華やかに輝く花 福寿草。
これが初お目見え。
花の持つオーラか、見れただけでも幸せ気分です。
人は皆、活躍できる場があってこそ、その人持てる能力を発揮出来るし、人として輝ける。
桑田投手は、現状に甘んじず、自らの能力を試す新たな挑戦を選択した。
野球のゲームそのものには余り関心はない自分ですが、
桑田投手の“立ち向かう姿”に、“トップアスリートの生き方”に学びたい。
そして、“大リーグのマウンドに立つ桑田真澄投手の勇姿を拝見できるそんな日”を待っています。
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創造館のシナマンサク
残念ながらシナマンサクの花は最盛期を過ぎていました。
離れてみるとこの一角だけ“霞みたなびく”ように、黄雲のように花をびっしりつけた枝が伸び、なかなか風情があります。
シナマンサク越しの落葉した木々の間から野底川を挟んで広がる上郷地区の家並みが見え、 振り返って空を仰げば2本のケヤキの間からも風越山が見えます。
此処は、旧飯田市の一角 丘の上に建つ創造館の前 風越公園です。
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2/3 文永寺
唐破風の勅使門の横 木戸をくぐると、勅使門の透かし彫りが光を受けて、いっそう綺麗に見えます。
余り見かけない花 シナマンサク。
何時から、この地に咲いていたのか?
2月3日 節分会の読経が静かに響いていました。
勅使門は教科書で学んだ事もある“徳川家康、武田信玄、御花園天皇、更に頼朝”へと誘う門 歴史を遡れる門でした。(『知久氏由来書』より)
また、自分は初めての花 シナマンサクは“飯田創造館でも咲いている”そうです。
探せば、まだ何処かで咲いているかもしれません。
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龍江にある天竜川の河川敷の一段上今田平、イチゴ狩りの出来る農園があったり、広々と畑が広がっています。
その一角 小山に建つ紅雲
寺と大木萱の木の根元から斜面には、20体余の千手観音等が彫りこまれた石仏が所狭しと置かれています。
現在は、無住職。
萱の木の裏に回ると此処で修行されたお坊さんのお墓でしょうか?石仏に続いて設置されています。
なぜ此処にこれだけの石仏が設置されたのか?わかりませんが、境内の一角に
“萱の木に 歴史を刻む 紅雲寺(龍江かるた 平成九年 龍江子ども会)
と、看板が立てられていました。
三六災害、造成された今田平、天竜川を挟んでやや空き家の目立つ対岸の時又と違い活気が感じられる龍江の道沿いの家並み。
今は、荒れ気味の境内。
萱の木の大木は、どんな歴史を観てきたのでしょう?
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“文永寺は、神ノ峰城の城主により建立されたが、武田信玄が信州に攻め入った時、兵火により全焼。後家康に願って再建された”と言う。
此の鐘は、竜丘から時又の間にある“ほっき”の黒瀬ヶ淵の水底から引き上げられ納められた”(伝承の一つ)とも云われます。
神社等名所を歩いて空を仰ぐと、大体何処かのアルプスが見える位置が選ばれています。山国信州だからでしょうが、土地の人々の山岳信仰心が厚かったともいえるでしょうか?
此処文永寺は、天竜川に架かる橋 南原橋を渡り、右手の坂道を登ったところにあります(下久堅地区)。
神ノ峰城跡とともに近在の小学校の遠足のコースに成っていましたが、今はどうでしょう?
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天竜川の東側 竜東線を走ると、下久方堅地区から高木地区の間に水神橋、弁天橋の2本の橋が対岸の松尾地区に向かって架かっています。
“「水神様」 水神 :蛇や龍の神格化したもので、水の中でもとりわけ飲料水、およびその水源を守護する神様。
「弁天様」 七福神のうちでただ一人の女神・弁天様は、もともとインドの水神さま”
赤い弁天橋より少し下流、突き出た岩の上に小さなお社が祭られていました。
鳥居の前に立って空を見上げると、なんと!此処からも風越山が見えていました。
鳥居に張られたしめ飾りが川風になびきます。
どちらも神様の名前が付いている橋にはさまれた水神様が風越山を背に造られている。
『風越山は神山』と、改めて思いました。
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こんなすばらしい朝焼けに出会えた日は、妙に気合が入ってしまいます。
1月なのに“庭の草取り”をしました。(霜で草の根が浮いているので、草拾いってとこです)
『・・・でも、やってみたいことは口に出して言うことにしています。願いはかなうんです、なぜか。・・・もちろん、自分が出来る最大限の努力はしますよ。』(女優 山村紅葉:朝日新聞 「口に出せば願いがかなう」)
“言葉⇒言霊だから、言葉には力が込められる。⇒心を傷つける刃となることもある”と、聞いたことがあります。
そして、母に言われたのは、
「いらない心配はするな!人はしなくてもいい苦労もある。でも、心配すると引き寄せるから、思うな。」です。
その後、若い頃の心配事が現実に迫ったとき、母の言葉が思い出されました。
此処は、すばらしい朝焼けに“気”をいっぱい頂けたり、すべてが郷愁に包まれる夕焼けが現れたりと、すばらしい自然を日常的に感受できる南信州です。
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店先で冬の日差しを浴びた真っ赤な唐辛子が目を惹く。(龍江 あざれあ :天竜川温泉港の近く)
“手間隙かけて育ってた唐辛子です!”
そんな農家の人の声が、想いが伝わる真っ赤な唐辛子です。
・・・・・
あ 風
むこうから こっちへ
こっちから あっちへ
ああ ああ ああ 行ってしまった
「おおい」
もういちど呼んでみた
日が ふりそそぐばかりであった(秋のまんなかで 工藤 直子)
たくさんの野菜が次々収穫を迎える忙しい秋、畑の隅っこで真っ赤になって農家の人が気がついてくれるのを待っていた唐辛子?
とても、すぐには食べられない!
天竜峡では、天竜川に歩道と車道の2本の橋が架かり、その隙間にも樹が起つ。すっかり落葉した枝の先々まで日差しをいっぱい浴びて、春を待っていました。
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天竜峡でたまたま見えた小道に入って行くと、ちょうど網を持って下る船頭さんに出会いました。
この小道の先が天竜ライン下りの“天竜峡温泉港”、これから船を出すという船頭さんでした。
お話を伺い、少し危なそうな川岸を上り下りし、船が来るのを待ちました。
やがてエンジン音が響き、2人のお客を乗せて前後に一人づつ船頭さんが立った船が下ってきました
“こばやし”(天竜川に架かる橋)を過ぎた頃、ギーコという櫓の硬い音が響いてきました。
天竜峡から唐笠港まで、50分の船旅、1年中船は出ているそうでうです。
天竜峡で天竜川に架かる橋は、見えている“こばやし”(車道)と、ほぼ同じ位置に歩道の太鼓橋“姑射橋”(読めません)が、架かっていました。平日のせいか、すれ違う人もなく静かな温泉街でした。
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天竜峡のこばやし(天竜川に架かる橋)から上流を見上げると、飯田の名山 風越山が見えていました。
♪・・・
いつの日にか 帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷♪
(故郷 作詞:高野辰之郷 )
岩棚にしっかり根を張り1本の樹が起つ。冬の日ざしが、広げた枝の葉一枚一枚を春の若葉色に染め、天竜川もコバルトブルーに染まって流れる。(川岸の遊歩道から)
実家の父がまだ元気だった頃、『家を継いでくれるように』と言われた事がありました。
信州に帰り夫の両親に話したら、
『「こぬか三合有ったら婿には行くな!」という言葉がある。』
当時夫は次男坊でしたが、姑の一言が全てでした。
天竜川の流れは、まったく違う遠い故郷へと誘います。
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新たな契約に際し、工藤公康氏
『横浜にお世話になろうという気持ちになるまで、時間はかからなかった。」
と、爽やかに会見。その眼光は力強く、『工藤公康氏はまだ活躍できるし、横浜はいい人を迎え入れたな!』と、感じました。
「心の中核に何を置くのか、そのことが、人生を分けることがある。」新たな選択に対し、「215勝の勝ち星を積み上げた工藤公康であることを矜持として、前を向いた。」と、さらに、「ひとつの言葉を飲み込むか、口にするか。そんなことも、アスリートの人生の岐路になる。」と、(朝日新聞 EYE ベテラン2人の生き様 西村欣也)
野球界で活躍した実績を誇れる2人のアスリートの一人の工藤公康氏の選択に、“分岐点で何を感じ、どう考えて前に進むか”生き方の美学を感じます。
お面(キャノンクリエイティブパークから)。
落としたときは“な~んだ”でしたが、お面と対面しその眼に魅せられました。
現在玄関にはまだ凧を飾っているので、代わりに飾ろうかと思ったけど「こんな眼光で睨まれたら、入ってくる福もはいれんだろう?」と言われ、“なるほど”です。
違うんですが、“たかがお面、されどお面”
眼光鋭い鬼の面 節分待たずに鬼退治
です。
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橋げたを見ましたが名前もわからず、側の案内板には、“天竜橋”とありました。
赤い鉄骨の橋ですが、かなり旧く側の歩道部分は、怖くて少ししか歩けませんでした。 橋の上から見える上流(南原橋から下流)はやや狭い谷間を流れてくることも有り、迫力満点。
橋を下って少し流れたところに船着場 時又港があります。ちょうど下ってきた船でしょうトラックに積まれて、上流へ向かうところでした。後ろの車には船頭さんも見えますから、船下りは始まっているのかな?
此処時又港では、3月上旬初午の日の長石寺で行われる祭りでは、「豊作、厄除け、交通安全を祈願し、神馬に捧げる水を天竜川から汲む神事 通称裸祭り」御神輿を担いだ裸の若者が天竜川に飛び込みます。(飯田市)
また、8月には灯篭流しで、花火大会も行われます。
現在、車を走らせていても空き家が目立つ静かな地区ですが、天竜川が交通の大事な手段だった頃、此処時又地区は交通の要で、栄えていたようです。
また、天竜川沿いの道路は、すぐ下を天竜川は流れているのに見えない箇所が多く、残念だと思っていました。が、かなりの箇所で川岸に生い茂る木々、竹が伐採され、とても明るく見通しがよくなっています。
天竜川の景観が、一層身近になりました。
穏やかな冬の日、早春を思わせる小春日和です。雪を戴いた中央アルプスを背に、風越山が優雅に聳えています。
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大寒の日の天竜川
もしかして川下りの船が見れるかもと、天竜川を見下ろせる南原橋(みなばら橋 駄科地区と下久堅地区に架かる橋)に出かけました。
まだ川から吹き上げてくる風は冷たい。
南原橋は、山ひとつを真っ二つに分けて出来た道路の先に架かっています。この道路、路側の斜面はコンクリートが吹き付けられ、歩いている人は余り見かけないところ。
ゆっくり自転車を引きながら何気なく見上げると、斜面をチョコチョコ動くものが、じっと目を凝らすと小さな小さな小鳥、
お腹が黄緑色の本当に小さな小鳥です。
お~い 一羽で大丈夫?
(チョッコ、ツンツン・・・)
寒いね。
(チョッコ、チョコチョコ・・・)
たまには一人もいいか?
(オットー!)
もう少し 、
春は近いよ!
帰り際もう一度見上げると、吹きつけられたコンクリートのあちこちをつつきながら、落っこちそうになりながら、まだ尾根伝いに動き回っていました。
冷たい風に煽られながらも懸命に餌を探しているような小さな小鳥に“エール”を送っているつもりでしたが、“あー、きっといつかいいことあるさ!”と、逆に“エール”を戴いた。
冷たい川風も爽快でした。
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天竜川の東側を走っていたら、ちょうど川を下りだす船が見えました。
急いで川原に車を止めましたが、水量が多く流れも速いのか、川岸にたどり着いた頃、船はかなり遠ざかっていました。
魯を漕ぐ船頭さんの鮮やかな水色のはっぴが、印象的でした。
今日は大寒ですが、
昨日の冬探しで、またひとつ“春の兆し”に遭遇。
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久しぶりに冬らしい夜明け
歩くと、芝はサク サク サク サク、
土はザク ザク ザク ザク、
冬の音がしました。
キャノンの「クリエイティブパーク」に掲載されている『ペーパークラフト』の達磨です。
パソコン教室で教えてもらい、作成。
元善光寺にお参り、達磨作り
最近、神様へ大接近。
気のせいかも知れませんが、
“神を信じる”ことで、運命をいい方向へ転換できる力が出てくるような気がします。
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まるで春のような朝、あたり一面靄に包まれ、家々の屋根の向こうは、すぐ空。
冬探し
鴉を真似る九官鳥
(北島 大果 :朝日新聞折々の歌)
昨日は、午後になり弱い日差しが差し込んできました。
岩陰の藪欄には、蕾が上がっていました。これって春の兆し?
子供の頃、故郷佐渡では冬になると家々の軒先からツララが下がり、たまに晴れるとその先端が少しづつ膨らんで、ぽとん、ぽとん・・・、日差しが強くなると、雨垂れのように溶け、その下を濡れずにくぐるのも楽しみでした。
また、裏を流れる小川の取り残された岸の草だって、水に洗われる先っぽは、水しぶきが凍っていました。
暖かい冬は過ごしやすいけど、寒い越後の冬が想われ、“冬探し”したくなるなんとなく春を思わせる昨日今日です。
古今和歌集の仮名序に、「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける」。和歌は人の本性が言葉という形に表れるものだという(「新日本古典文学大系」)
パソコンで電子の海に組み込んだ
ホームページは僕だけの船
(高3 山崎佳士 現代学生百人1首):天声人語より
元善光寺の境内には、たくさんの人々に今年の運勢を見せたおみくじが結ばれています。
“運命は変えられるもの”と聞きます。自分の本性を以て“おみくじで示された運命を開きたい”思いが結ばれているように見えました。
ブログを初めて半年過ぎ,“僕だけの船”という気持ちがよくわかります。
まだ、本性が現れる画像というより、偶然取れた画像をアップ、独りよがりのブログですが、ブログをアップすることで“生活のはり”をもらっています。
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参道の階段に立つ赤い昇り旗が風にはためき、異空間に誘います。
ご本尊様は阿弥陀如来様
“一度詣れよ元善光寺
善光寺だけでは片参り”
皇極天皇元年にご本尊様は現在の長野市に遷座され、飯田の方は勅命により木彫で同じご本尊様が残され、『元善光寺』と呼ばれるようになった。(善光寺掲示板)
ゆっくりと階段を上がると、合格祈願の絵馬、今年を占うおみくじが境内に張られた縄に鈴なり。(他に2箇所も)
神社等に入ると雑念も消え、透明な気分に成れる(言葉が見つからないが、)不思議な空間です。
平成19年は、亥年。
亥年の守本尊は阿弥陀如来様です。
特別ご利益を授かりますようゆっくりお参りください。(元善光寺掲示)
普通日で参詣者もちらほら。
交通安全のお守りと息子の健康祈願のこけしを買ってきました。
2月に、また出かけようと思っております。
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雪が降ってから初めて、鈴岡城址公園に上がりました。
秋,風が落ち葉を運び込んでいた空堀に雪が少し残っていました。
高台に立つと、
南アルプスが望めます。
そして、
陽だまりではタンポポが咲いていました。
散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だぁまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。(星とたんぽぽ 金子みすず)
春の初めにオオイヌフグリのさわやかな花に出会えると“春が来た!”と、嬉しくなります。が、早すぎるたんぽぽに、ちょっと不安。
“気候の変動の表れ?”
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三日市場に上がると、南アルプスの方角から何本も飛行機雲が広がっていました。
テレビ番組『世界一受けたい授業!!』から
武田鉄矢氏は
かさ地蔵⇒「かさが売れなかったこと(失敗)で、帰り道で降りしきる雪の中の地蔵様に気が付き、売れ残りの傘をかぶせてあげる(新しい見方)できたおじいさん」の話
同様に「桃太郎、一寸法師、浦島太郎」日本昔話を題材に新しい読み取り方を気づかせてくれました。
なかなか物を柔軟に捕らえることは、云われれば納得ですが、難しい。
また、脳科学者茂木健一郎氏は
「現代人は、恐怖を感じることが少なくなっている。恐怖は脳の栄養素。いろいろ想像することが、生きていくうえで必要。知識が邪魔をする。思い込みを外して、感じることが大事」と、話された。
自分は小さな枠内で生きているが、もっと脳を活性化できれば、もっと違う世界が開けてくる。今の悩みが、悩みでなくなるかもしれないということは感じることができました。
広い空に憧れ、逃避している気がしていましたが、“この広がる空を心の栄養素にしたいものだ。”と、感じています。
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たそがれる空に誘われて、天竜川へ。
あわや暮れる寸前、落葉樹の枝越しに名残の空が見えました。
(“川面が染まるかも”と、期待したのですが、残念。また、逆光で手前が暗くなってしまいました。上流の写真と同じ時刻です)
川は時又へ流れてゆきます。
初めて天竜川の近くの村に引っ越した夜、夫は職場の歓迎会に出かけ留守。
疲れてむずかる息子を背に川岸を歩きました。
♪ねんねん ころりよ おころりよ
ぼうやは よいこだ ねんねしな♪
いつしか流れる川音が海鳴りに聞こえ、涙があふれてきました。3月の終わりの頃でした。
いつかテレビ番組で、「子守唄は子供の心を育てる」と話されていたのを聞いたことがあります。子守唄は、唄う母の心も癒してくれる気がいたします。
今もあの頃と変わらず、天竜川はとうとうと流れております。
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