普通日の風越の森子ども公園
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極楽峠沿いにどんな間隔で石像(設置地図)が設置されているかはわかりませんが、此処で足を止め拝顔しほっと一息ついたんでしょう?
登りにしろ下りにしろまだまだ坂道、安全を願って設置された石像は、しっかり印を結んでいます。
整備された林道を道なりに走る。
途中に石仏の場所示す案内板が何か所も立ててありました。
1番目の石像が設置されている場所は広くはあり、ほかに何体もの石碑も設置されています。
が、相性のいい石像が人それぞれ違うのか、場所の気が合わなかったのか早く立ち退きたい気分になりました。
石像巡りは、明るい日差しの射す日がいいかもしれません。
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冬らしい寒さをあまり感じなかった今年、2月に入り下久堅にある文永寺へ上がると、五輪塔の前の田んぼに薄氷が張っています。
水晶の石柱のような無数の小さな霜柱、軽く踏むとサクッサクッと軽い音を立てて壊れる。(
画像をクリックで拡大します。)
参道横の田んぼ沿いの道を進んだ所にある文永寺の石室五輪塔
すっかり初春のようなこの頃ですが、天竜川東岸の一段と高い所にある田んぼに薄氷と霜柱、“冬らしい景色”を見た。
ちょっとうれしい
!
参道の左側の脇道を奥に進むと、下伊那最古の五輪塔があります。

下伊那には現在約180其有る中で、 文永寺の石室・五輪塔は下伊那最古、13世紀後半に建立されたという
昭和61年7月~昭和62年3月に修復工事が行われたそうですが、五輪塔の石室床石下の納骨穴のすぐ下に、常滑焼のつぼが据えられ、複数の人骨が納められていたそうです。(参照:上郷考古博物館:講座『石造五輪塔に秘められた由来』より)
春を思わせる穏やかな今日、開善寺へ出かけると、シャクナゲのつぼみがたくさん上がっています。春の画像(2007.5)
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道路に面した石垣沿い、一本の松のくぼみに、他の樹木が枝を伸ばしています、
春を待つ花の寺 開善寺は一時まどろみの中にいるような静かで穏やかな空気が漂っています。
元善光寺の住職;本多家の庭にそびえる巨大な大王松(ダイオウショウ)
下枝は切り落とされ不確かなのですが、ちょっと普通の松と違い松葉がやわらかに見えます。
画像はクリックで大きくなります。
大王松(ダイオウショウ)は、マツ属の中でもっとも長い葉を持つのでこの名がついた。
原産地は、北アメリカの東南部。
葉は3本づつ出る三葉松であり、葉の長さは老木では20~25cm、若木では長さ40~60cmに及ぶ。
花言葉は不老長寿(園芸店のコピー)
元善光寺は斜面にあるお寺、その中断ぐらいのお庭に植えられています。
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柔らかな冬の日差しを遮るように頭上で枝を広げています。
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柿の沢地区の田んぼに組み立てられたどんどやき
どんど焼きは、小正月に行われる火祭りの行事。
地方によって呼び方が異なる。
民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
『徒然草』によると“左義長は、正月に打ちたる毬杖を真言院より神泉苑へ出して焼きあぐるなり。”とある。(Wikipedia)
この下伊那地区では、『どんど焼き、おんべ』、松本にいたころは『さんくろう』でした。
ふるさとでは、こんな小正月行事はなく、門松をどうしたかは思い出せないのですが、小正月用にもう一度餅をつき、藁束に大きなおもちをくっつけた稲穂が、神棚に飾られていました。
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深い谷で、木が生い茂り流れも見えない。
天竜川の堤防沿いは、誰かを見かけますが、ここは、車が通り過ぎるぐらいです。
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国道151号線沿い下條村小松原へ入る道路の入り口に設置された巨大門松
この竹の形状には、斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類があり、「そぎ」は、徳川家康が「三方ヶ原の戦い」で生涯唯一の敗北を帰した武田信玄に対して次は斬るぞという念を込めたのが始まりという俗説もあるそうです。
福をもたらす歳神さまを迎えるための憑代(よりしろ)を、村の有志や村営住宅の若者らも参加して作ったとか、地区の行事として4年前から設置しているそうで,竹の先端部は、力強く、鋭く削がれ天を指しています。
飯田近郊で、下條村は人口が増えていると聞きます。
これだけ大きな門松を地域への入り口に設置できる小松原地区は、きっと活気溢れる地域なんだろうな!
パワーが溢れてくるような気がしました。
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今年の春観光協会の前に置かれていた湯屋守様よりさらに巨大化したのでしょうか?
画像はクリックで大きくなります。
ああああああああああああああああ
湯屋守様の原型はこの地に古くから伝わる「本ヤリ様」の形を模したものだそうです。
「本ヤリ様」を燃やす「どんど焼き」と同じ方法でお焚き上げを行なわれ、お焚き上げで残った墨を、神様が宿っているありがたい「御隅」として体の一部に塗ることで、一年の無病息災が約束されるそうです。
式内阿智神社社殿の左側 大杉に結びつけられた1本の見慣れない竹、「本ヤリ様」?
「本ヤリ様」が結び付けられている杉の後、過っては「本ヤリ様」が立てかけられていた杉は大杉となりご神木としてしめ縄がしめられています。(勝手な想像ですが)
新たな一年を迎えようと厄をはらったり、無病息災を願ったり、様々な伝統行事として語り継がれてきた“気持をリセット”する手法、地域の人々の想いをいただき、新年を迎えたいと感じました。
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昼神温泉郷にある式内阿智神社に「茅の輪」が、設置されていた。
人形に息を吹きかけ「依り代」として、「茅の輪」をくぐり、参拝して奉納することで1年の厄を祓う「茅の輪くぐり」、
奉納した人形は元日のお焚きあげで供養されるという。
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大きなケヤキところから左に曲がるスロープ、右斜面は欅が多く明るい日差しが射し込んでいます。
稜線状の上、さらに石作り山門の奥に杉木立に囲まれた前宮が見えます。
観光地の中とは思えない別世界です。
人気はなく、「茅の輪」脇を歩いて本殿の前にたつと、開かれた社殿の中には燈明も見えます。(人形を納める白い箱)
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清らかな空気が満ち溢れ、気持のよい境内(ひとりでも散策できる)
奈良時代は、この「茅の輪」を3回くぐって参詣したそうですが、これですべてがリセットされ、新たな人生が踏み出せるなら、くぐりたい。
生きずらい現代の素晴らしい精神処方箋に思えてきました。
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開善寺:畳秀山開善寺は鎌倉武士建立の禅寺として伊那谷屈指の古拙
寺伝によると建武2年(1335)小笠原貞宗が大鑑禅師を請じて開山したといわれ、鎌倉幕府滅亡の混乱期に建立された。(飯田市;開善寺)
本堂の右側畑の奥に小山のように聳えている樹の下で、銀杏拾いをしている方に声をかけると、あ
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大木の根元で両手を広げてもまだ、幹は大きすぎ、届かない。(身長;152cm)
見上げていると、おじさんが入ってきて、
『この逆さ銀杏そのものが、小笠原貞宗の御墓になっている。』という。
そして、横のお墓は、『後醍醐天皇の姫と関わり合いがある』という。
この大木の下一面の落ち葉をかき集めたりと、心をつくしておられるようです。
かき集められた落ち葉は小山をなしていました。
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手作り花火でも有名な建神社の脇道を上ると、すでに先客があり、三脚を立て陽ざしが当たるのを待っています。
清内路の本道として利用されていた街道に、飯田市山本
側・
清内路の双方から、旅人の安全を願い梨野峠にかけて安置されていた33体の観音石仏
梨野峠は標高1172メートル、飯田市と清内路村の境にある峠。塁道が開設されたとき、集落を一望できるこの麓根に集め、観音山として信仰と憩いの場になってるそうです。
鐘堂脇の道は関所の間道、タイムスリップすれば、信長軍先陣団景春、森長可、水戸浪士等が足跡を刻んだところ、
公園内の石仏観音の建つ稜線沿いに帯状に植えられたドウダンツツジ、少し時期を逸しましたが、真っ赤に紅葉していました。(画像は11月13日)
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153号線を走ると全山紅葉し、あの山のどれかの木のそばに行ってみたくなります。(11月7日の画像)
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画像はクリックで大きくなります)
赤い橋げたの門原大橋(春の門原大橋)も秋景色にすっかりおさまっています。
河鹿の湯に下りると、
「この前はまずかったけど、今日はおいしかったよ!」
常連らしい近所のおばあさんがお構いなく大声で話しています。
お昼にいただいたラーメン、残念ながらいまいちでした。
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飯田市山本二ツ山の堂坂稲荷社鳥居横のハナノキは、午後のやわらかな陽ざしを浴び、オレンジ色に紅葉していました。(11月7日の画像)
樹高約;20M、梗高幹周り;2Mほどカエデ科の希少種、長野、岐阜、愛知各県の湿地帯などにしか自生しない。長野県版レッドデータブックの絶滅危惧種に指定されている(南信州より)
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静まり返っている横の赤い鳥居の奥の階段も林の中までも、あたり一面、幸せ色の落ち葉が降り積もっていますが、怖くもあり踏み込めない、
二ツ山の堂坂稲荷社鳥居横のハナノキは、今年見た最高の紅葉、
離れがたいほど、わくわくしました。
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画像をクリックし、大きくしてみてください、)、
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安富桜 (
クリックで夜桜にリンクします)
落葉が進み 細い枝の先からがしりとした幹の根元まで、秋の光がシャーワーとなってり注ぐ。
春より樹が若々しく見えます。
紅葉が始まりだした。
昨日は穏やかな小春日和、今日は一転寒い日、紅葉が進みそうです。
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赤いあんべをつけたお稲荷様が2対、春は桜に目を奪われ気がつきませんでしたが、 妙に赤が際立つ。
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有名な清秀桜(
クリックで春の桜にリンクします)は、だいぶ落葉が進み、陽ざしが下まで降り注ぐ。
モミジの紅葉が有名のようですが、鳥居のそばはまだ青々と茂り、見るところが違ったようです。
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「ナナカマド」という和名は、"大変燃えにくく、7度竃(かまど)に入れても燃えない"ということから付けられたという説が、広く流布している。その他に、"7度焼くと良質の炭になる"という説や、食器にすると丈夫で壊れにくい事から"竃が7度駄目になるくらいの期間使用できる"という説などもある。(Wikipediaより)
ハナミズキと同じ かちっとした小さな赤い実が、渋く紅葉した葉の中で光る。
柔らかな秋の日差しを浴び真っ赤な ドウダンツツジは、炎色に紅葉a
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ここは、治部坂峠を越えた平谷の道の駅、です。.
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石神の松の上の見晴らし台から南駒ヶ岳の峰々、摺鉢窪カールを望むことができます。
画像はクリックで大きくなります。
テレビや新聞でそろそろ紅葉の便りが届くころ、この摺鉢窪カール周辺も紅葉が始まっている頃でしょうか?
下の町並みは、天竜川向こうに中川村が広がります。
石神の松の斜面にたつと秋の香り、振り返ると 金木犀がありました。
この橋からさらに北上し飯島町に向かったのですが、しばらく走ると大型車は通れない細い道(ほとんど農道)になり、結局その間橋がかかっていなかったので、25分ぐらい天竜川沿いを走りつずけて、やっと、飯島町に入りました。
道が不案内で、少々心細い道でした。
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もともとは江戸時代末期、異国船の襲来に対抗するために作られた大砲を置くための陣地。
佐渡は天領であり、海岸線も長いため58 か所の台場(遠見張番所を含む)がありました。
異国船との交戦はありませんでしたが、県内でも完全な形で残っている台場の一つです。(佐渡市教育委員会 相川事務所)
画像で、お台場の左側の向こうには広場があり、子供のころここで村民大運動会が行われた村唯一のグランド “はらのいなば”と言われ親しんだ場所です。
『この海の向こうはロシアで、攻めてきたら戦う』ための場所と思っていました。
このお台場は、水平線が弧を描く、海成段丘の先端部にあります。
グランドはそのまま残っていましたが、小さな原っぱで、東側に広がっていた田圃や堤はその面影もなく、リゾートホテルが建っていました。
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トキの里に行こうと65号線を走ると、沿道には稲穂が波打っていました。
本土新潟では刈り入れの済んだ田んぼもあったから、佐渡は少し遅いのかもしれません。
(かすむ山並みは、小佐渡です。この山並みを越えて、トキの里へ向かいました。)
・・・
海のおもてを、鐘の音は
海のどこまで、ひびくやら
・・・金子みすゞ 鯨法會
昨日の午後、(たぶん )川向うにある文永寺の鐘の音が響いてきました。
門前の駐車場には大型観光バスが2台駐車、一緒のころ境内に入り、はじめはガイドの声が響いておりましたが、通り過ぎると根本寺の境内は静寂に包まれます。
根本寺の鐘の音は、海まで届くのかな?
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寛永3年(1626)当山第十三世日衍上人の造営。仏法の守護神とされる一対の金剛力士が安置され、除厄の役をなす。
宝暦元年(1751)第二十七世日遥上人による建立。
足の健康を願ってか?今は珍しいわらじが、奉納されています。
健康ブームで話題の草履は、海に行く時はいた記憶があります。滑らなく岩場を飛んで歩けるのです。
が、わらじははいたこともない。
かなり古いものでしょうか?
佐渡の金山 この世の地獄 登る梯子が 針の山
山師の味方氏の保護を受けたことも、その繁栄を支えたとされる根本寺、過酷な労働の中で祈願寄進をすることで日々の安泰、極楽往生を願ったのでしょうか?
二王像の足元に鳥居も置かれていました。
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文永8年(1271年)鎌倉竜の口の法難を免れた日蓮上人は、その11月、当時死人の捨て場とされていた塚原の三味堂に入られた。このあばら家で他宗の僧と「塚原問答」をたたかわせ「開目抄」を著した。(観光マップより)
ほぼ空洞の大樹(平成3年の台風19号により、仁王門等を破壊した樹齢300年の大杉)、
樹齢400年以上の大樹が、次々となぎ倒され、師祖堂、二天門、仁王門等被害にあったそうで、その名残だそうです。
11代将軍家斉が還暦の寿を祝し、合わせて厄除を祈願した祖像を安置している三味堂(妙感尼の発起により、1835年に建立)
裏に回ると、佐渡金山の開発に貢献した味方山師の墓、根本寺の発展は、この味方師はじめ鉱山関係者の援護により大規模な寺院となったらしい。仁王門にはたくさんのわらじが奉納されていました。
真野御陵は小学校の遠足で出かけてはいますが、日蓮上人関わりのお寺は初めてでした。
画像はクリックで大きくなります。
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昨年秋迷い込んだ野田平、かっての分校跡の野田平キャンプ場からさらに新九朗の滝まで舗装された道路が、続きます。
2km程走ると案内板から800m(実際は1km以上あるかと思われる)山道を歩きたどり着いた新九朗の滝。
水量豊かな雄大な滝です。
昨日、賛成多数で「ガソリン税の暫定税率」が1か月ぶりに復活。
今までは何気なく走っておりましたが、野田平の奥深くまで走り込んでも舗装された道路が続いていると改めて思ったりしました。
川べりのところどころにハシリドコロ:全体にアルカロイドを含む有毒植物、“食べると幻覚症状を起こし、苦しんで走りまわることから命名”(「身近な野草・雑草」より)あまり見かけない花です。
豊丘南小学校のそばを流れる虻川は、清流のわけですね。虻川はあかウオが泳ぎ、しらさぎも見かけました。
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一昨日、南信州は雨でしたが、アルプスは雪山が見えます。
昨日、初冬のアルプスの景色が見たくて、天竜川の2段上の段丘のさらに奥に上がりました(佐原地区のさらに奥)。
沿道に白樺の木が見られる標高1000mぐらいの地点まであがりましたが、南信州の奥深さ、山は空高くそびえ、自分の居住空間で見える景色程度しか見えませんでした。
走れば走るほど森が深くなり、アルプスの眺望は開けません 。
山々は遠い。
ここは隠れ里?と思えるようなひっそりとした集落が突如見えたり、清流の流れの側にはかって人々の声が響いたであろう居住空間と思しき廃屋もありました。
周辺の田畑は雑草が生い茂り、“兵どもの夢の跡”ではありませんが、古の人々の姿を連想させます。
森閑とした森の中、沿道にはびっしり落ち葉が降り積もり、ところどころ小さな土手崩落もあったりしましたが、森の清浄な空気を全身に浴びて帰ってきました。
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しらびそ高原は、標高1918M、下伊那は一面の霧に包まれて朝を迎えましたが、峠は晴天。空気はひんやり、マイクロバスの中であったまり上気した体には、心地よさを通り越し少々肌寒く思わず持参したジャンバー等羽織りたくなる外気です。
峠は、赤石山脈と中央アルプスを背に色付き始めた紅葉、しらかばの白い幹、・・・。
雄大な景観に目を奪われます。
峠へ上がる途中の植林された山林の下草は大量発生した鹿に食べられ、整理されたように綺麗です。
山頂の方ではこの画像のように、熊笹が生えています。この熊笹は、根で増殖できるそうですが、途中の山林の熊笹は新芽を鹿に食べられると増えることのできない種類の笹だそうです。
雑草が生い茂っているのは柵に囲われた元営林署の宿舎跡だけ。
鹿の食害による綺麗に整備されたように見える山林、2000Mぐらいの山林の整備はありえないことでした。(次の機会に画像を出します。)
鹿の食害で、山林は脆くなり崩壊の危機。今鹿の捕獲を考えているそうです。
この綺麗な自然に恵まれているように見える信州も、休耕地が増え、いろいろの動物の害が増えているそうです。
飛躍が有りますが、食品の偽装が問題になっています。そして、少子高齢化、荒廃する山林も日本の国の危機であることは確かだと、雄大な景観を眼前に思います。
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今下伊那の道路は、かなり奥まで舗装化され、土手はコンクリートを吹き付けられたり、ブロックの石垣が積まれたり、自然の土手は少なくなってきました。
そんな人工の土手から上に通じる階段の小道に、彼岸花。
彼岸花が咲く小道は、まだまだ続いていました。
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<サルスベリ > ミソハギ科
学名 ;Lagerstroemia indica
別名;百日紅
原産地 ;中国
開花期 ;7月~10月
名前の由来;幹がつるつるしていて猿も滑り落ちてしまうという意味に由来します。
別名;「百日紅(ヒャクジツコウ)」;夏の間次々と花を咲かせ続け開花期間が長いので。
「かわらんべ」の一段下の堤防上、房状になって百日紅が咲いています。
遠目には、春先の山茶花を思いました。
先日でかけた立石寺でも咲いていましたが、近所の庭でも咲いています。
子供の頃、寺院では見かける花でした。下伊那では、あちこちに見かける花です。
9月に入り、また色も鮮やかに咲いています。
「炎天の 地上花あり 百日紅」
加賀千代女(かがのちよじょ)
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立石寺(飯田市)天安元年(857)建立と伝わる真言宗の古刹。
伊那西国三十三番札所の第一番寺でもある。
聖徳太子作と伝わる重要文化財「十一観音立像」の御本尊を安置する(非公開)。
里山に囲まれた静かな古寺で、境内に古い楼門・仁王像・梵鐘を有する。
また古くから“柿の観音”として信仰を集めていた。(飯田観光協会)
階段の上の鐘楼
山門から徐々に参道は昇り勾配。
日ごろの運動不足で、息切れするほど長い参道です。
寺院でよく見かける百日紅が境内の端から流れるように咲いていました。
枝越しに雄スギが見えます。
本堂 は、里山の斜面を利用し、自然の景観を旨く取り入れて建てられています。此処に上るとなんか敬虔な気分になり、雑念も払われただ自然の素晴らしさ、歴史を素直に受け入れることができます。昔の人の英知を感じます。
庫裡から本堂へ出る渡り廊下の中央に鳥居が見えます。
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「立石の雄スギ雌スギ」別称:夕日御影杉、夫婦杉
樹齢約1000年(推定)、
雌雄同株、樹高60M、両木の間の距離約400m
雄杉が東に、雌杉が西に植えられているので、春秋彼岸の日の出、日の入りには、それぞれの影が伸びて他方の根元まで届きます。
県の天然記念物。(飯田市教育委員会)
立石の立石寺の山門から少し離れた道下に雄杉が聳えています。 身長152cmの自分には手前の細い木さえ、目一杯腕を回してもとても抱えきれない太さ。
更に田んぼを挟んだ下に雌杉が見えます。
なぜ赤い仁王像なのか?いつ建立されたのか?等、分かりません。武田信玄の信州侵攻との関わりも分かりません。
これから、疑問を解いていきたいと思っています。
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最近地方紙に、「根羽に蕎麦の花が咲いている」という記事、あまりの遠さに半ば諦めていたら、昨日また「三穂の休耕地で蕎麦の花が咲いている」という記事を見つけ行ってきました。
「南信州は奥が深い!」と、いつかsound boxさんが書いてくれましたが、下伊那の人であるうちのお父さん「何とかなる」と気安く出かけてくれたのですが、なんとも成りません。
かなり奥深く入り、上り詰めた坂の頂上に大きな桜の木があったので「これを撮るか!」と小休止。
木の根元にはお地蔵様が安置され、すでに古木自体が庚申のような存在です。
うろうろしていると、少し離れた高台のお宅の玄関が開いていて話し込んでるおばさん二人が見えます。自分の住んでる地区でも玄関をあけ広げて外を見ながら話し込む景色なんか、見かけないほどです。この気安さでのこのこ上がってゆき「蕎麦の花が咲いているという場所」を尋ねると、被っていた手ぬぐいを脱いで、真向かいの農道の奥を指差し「ああ!左側!」と、もう一人のおばさんが「右側!」と訂正してくれました。
四辻の農道をちょっと走り込むとると、蕎麦の花が満開です。知識でしか知らない蕎麦の白い花が、一面に広がっています。
確かに赤い蕎麦の茎、
あまりの広大な景色に、のどかな風景に、茎を取ることぐらいしか思いつかず。(一つの花自体の画像を撮り忘れました。)
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昭和22年の大火から立ち直った飯田市復興のシンボルとして親しまれている林檎並木、
昭和28年に市内中央の大通りに400mにわたって植えられた苗木は、ニュートンのりんごの木より分かれた苗木も加わり、市立東中学校生徒達の手で守り育てられています。(飯田商工会議所)
明るい日差しを浴び林檎が輝く
台風の季節は実りの秋と重なることが多く、台風後の被害の一つに、果樹の落花が報道されますが、林檎並木の林檎は枝もたわわに実っていました。
同じ長野県でも、佐久市、伊那市、軽井沢方面での台風被害も大きく報道されてされています。
文豪島崎藤村が生まれた木曽の馬籠は、“生活圏は岐阜県の中津川市”とのことで、現在では岐阜県、もはや長野県では有りません。
長野県は南北に長い県です。
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松川の「生田木材技建株式会社」http://www5.plala.or.jp/ikutamokuzai/の地域感謝祭に、ひょんなことから参加しました。
自分たちは、工作教室「昔のおもちゃつくり」での参加で、祭り自体を楽しんだわけでは有りませんが、隣のブースでは本職の大工さんが補助しながら椅子、ベンチ、スノコ等直ぐ使える家具つくりです。勿論材料は“ただ”
お祭りの終わりは、実演で建てた建物からの餅撒き、威勢よく大工さんの投げる餅、お菓子、いろいろに人々の歓声が上がります。
片付けながら、ちょっと一回りしてみたら、模擬店や木材の販売は勿論ですが住宅に関するもろもろ、網戸や家具、いろいろあったようです。
地域に密着する会社は、“ここまでやるのか?”と、びっくりの一日でした。
ヒョウモンチョウはよく見かけますが、キアゲハは今年初めてです。砂利と石ころのこの空き地で何かを吸引するかのようにしばらくあちこちを下りては飛びを繰り返していました。
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駒ヶ根のロープウエイにのって中央アルプスが一望できる千畳敷カールへ上がりました。此処は、標高2,612m氷河時代の氷河によってカールができたそうです。
空気は清浄で、カールの見える大地に上がると、涼しさを通り越し寒い。
マイカー規制で、菅の台からバスで30分、さらにしらび平駅からロープウエーに搭乗です。ぶり返した暑さを逃れて大勢の人々が列を成してロープウエー搭乗を待っておりました。私たちも1時間待ちでした。
駒ケ岳ロープウエイは、しらび駅(標高 1661.5m)から千畳敷駅(標高2611.5m)までの高低差950mを約7,8分で恐怖感もなく上っていきます。
眼下には、雪の重みで幹が曲がって斜面に横から突き刺したように生えている樹、
途中、他のロープウエイと行き違う瞬間は、乗っている自分たちが感じる速さ以上のスピードですれ違いました。
立ち枯れた樹、切り立った岩山、何本も急斜面を滝が流れ落ちる様は正に贅沢な空中散歩です。
菅の台に着いたとき、駐車場脇の川の水の綺麗さに驚きましたが、この豊かな自然林は、あの綺麗な水を育んでいるのだと実感です。
子供が小さい頃は、此処から宝剣岳を目指して歩きましたが、今回は中央アルプスを眺めたり、あちこちに咲いている山野草を見ながら少し散策し、帰りを考え20分ほど下りの行列に並び、またローぺウエイに搭乗、7分ほどかけて下りてきました。直ぐバス乗り場へ直行。運よく臨時便に乗車、また、30分バスに揺られて下りてきました。
時間のゆとりがなく、ちょっと慌ただしく乗り継ぎや搭乗時間待ちに疲れますが、でも、
“やはり下界は、まだまだ暑い!”
とか、言いたくなる別世界でした。
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